シンガー・ソング・ライターの小椋佳さんがインタビューで語ったこと。
「私達は言葉をまず幼少期に真似て覚える。これを『真似び』と言う。次に学校で『学ぶ』。そこまでは人の言葉である。自分の人生を生きるということは『真似び』『学び』を卒業して、自分の言葉を生んでいくことである」
それを聞いて南こうせつさんが語ったこと。
「それは生き方にも通じるところがあると思う。学びの中で先生や先輩がいて、自分自身の道はあるけど、それまでの先生のコピーをしたり、気づいたら人の道を歩んでいたり、自分の道の路肩を歩いていたりする。それにまったく気づいていなかったりすることがある」
20代の頃、私のまわりにはカリスマ性の強い人が多くいた。その人達の話は面白く、私の知らないことばかり。若いからスポンジのようにどんどん吸収し、いま振り返ると恥ずかしいけれど、聞いたことをまるで自分の知識のように、自分の言葉のように、同年代の友人に語ったことがある。30代の始め頃までは、たくさんの人と出会い大きな影響を受けた。
その頃の自分はその人たちの言葉に目を輝かせ、胸をときめかせていたと思う。
その後、当然の如くいろいろな事が起こり、自分の内面と語り、考え、たくさんの映画を観て、本を読んできた。いまだ学び続けている私。
「自分の言葉で話していますか」「自分の人生を生きていますか」
特に気にしたことはなかったけれど、少し立ち止まって考えてしまったおふたりのお話である。