“ワタシが日本に住む理由”(BS TV東京)に出演のアメリカ人弁護士、ジェリー・メステッキーさん。

 

1995年1月、神戸大学に留学、その直後1月17日に発生した阪神淡路大地震。

後日、被災地を訪れた時に見た光景。そこに住む高齢夫婦が営む洋品店も被害に遭い、住居となっている2階は崩れ落ちてボロボロになっていた。それなのに、このご夫婦は売り物である洋服を無料で人々にあげていた。自分たちはすべてを失ったのに。その姿をみてジェリーさんは感動したという。

 

2003年8月14日、アメリカ合衆国北東部と中西部の一部、およびカナダのオンタリオ州にまたがる広範囲で起こった大停電。

 

発生したのは午後4時過ぎ、突然、コンピューターが作動しなくなった。同僚たちと何が起きたのか認識するまでに少し時間がかかった。窓から見えるグランド・セントラル駅からどんどん人が出てくる。駅で何かあったのか、と心配になった。しばらくして、この停電はこのビルだけでなく大々的なものだとわかり、帰り支度をしてオフィスの20階から階段で降りた。そこから徒歩であるが、まさか歩くことを想定していなかったのでヒールのある靴。42丁目の五番街から自宅アパートがあるアッパー・イーストまで歩いて帰ることになったが、後で知ったことは、家へ帰ることが出来ずに外で一夜を明かした人が大勢いたこと。

 

帰る途中、夜は食事の支度が出来ないことを考え日本のベーカリーへ。停電で暗い中、全商品を半額で提供してくれた。五番街近くのアイスクリーム屋さんでは商品を無料で提供。何時まで続くか予想がつかない停電、素早い決断。そのサービス精神に大勢の人が喜んだ。

 

ミッドタウンの小さなデリ。普段1ドルのペットボトルの水を5ドルで販売していた。大きな樽のような容器に氷をたくさん入れて冷やしたボトル水。

 

「あなたたち、こんな時に、こんなことするの?」と困惑気味に言う男性。

「ビジネスだから!」と若い女性は強気だった。

 

多くの人がため息をつきながら通り過ぎる。どうしても必要な人は5ドルで購入。これからまだ1時間も2時間も歩かなければならない人に水は必要である。なにしろ真夏、暑かった記憶がある。

 

後日、人に助けてもらったこと、皆で助け合ったこと、小さなことも大きなことも、停電の日の心温まるストーリーがいくつも語られた。

 

どこかにネガティブなことも掲載されていたかもしれないが、人は心に響くことの方に強く惹かれるものだと思う。

 

 

 

*(しばらくブログの投稿をお休みします。再開の際には何卒よろしくお願い致します)