20代の時に働いていたオフィスビルの上階に不動産会社があった。そこの従業員とはエレベーターで会ったり、私がアパートを探してもらったりするうちに親交をもつようになった。
その不動産会社は営業の男性が4〜5人、女性の経理事務員が1人いた。
女性は当時、30才くらいだったと思う。私は彼女を「お姉さん」と呼んだ。眉毛が立派で目は大きく、顎の張った凛々しい顔立ちで腰まである長い髪の毛を後ろで1本にまとめていた。仕事場での服装はジーンズにTシャツがほとんどでまるで化粧っ気のない女性だった。
年上のお姉さんは私を可愛がってくれた。たまに土曜出勤をした日は「お昼ごはんを作ったから食べにきて」と誘いを受けた。焼きそばだったり、チャーハンだったり、サンドイッチだったり。お姉さんが小さなキッチンで作るのである。
私が元気のない顔をしていると「ここで休んで行きなさい」と、デスクをあけてくれた。
そんな日々が2年ほど続いたある初夏の日、外でお姉さんを見かけた。オフィスのある六本木、信号が青に変わり横断歩道を渡るところだった。反対側から歩いて来た彼女は黄色のワンピースに同色系のつばの広い麦わら帽子をかぶっていた。いつも後ろでまとめている長い髪の毛はさらっと背中に垂らし、赤い口紅をつけ、太陽の下で輝いていた。
「お姉さん!綺麗!」と大きな声で呼びかけた。お姉さんは「本当? 嬉しい!」と照れたように言い、まだ言い続ける私を振り返り「もういいわよ!」と笑いながら手を振って信号を渡って行った。
その後、お姉さんは仕事を休む日が続いた。
「入院したんだよ」とお姉さんの従兄弟だという社長さんが教えてくれた。お見舞いに行きたいと申し出て、社長さんはお姉さんに私が行っても良いかどうか聞いてくれるという。数日後「もう少し、体調が良くなってからね。ありがとう」という返事をもらった。
夏がもう終わりをつげる頃「まだ、お姉さんは退院しないの」と尋ねると、「あのね、亡くなったんだよ」と社長さん。突然の言葉に私は泣きじゃくった。
あの日、横断歩道ですれ違ったのが最後。あの時すでにお姉さんは自分の余命を知っていたのだろうと思う。
お姉さん、ありがとう、とても綺麗だったよ!
「ははは、もういいから!」と、青空の下でお姉さんの大きな笑顔が浮かぶ。