今はもう実家はなくなり、故郷へ帰った時にはビジネスホテルに宿泊する。
実家があった町内には幼い頃から家族同士で親しくしているご近所さんがいる。私は物心ついた時からその家のおじさんを「パパ」おばさんを「ママ」と呼んでいた。自分の親は「お父さん」「お母さん」である。
パパが病気になり自宅で療養していると聞いてお見舞いに行った。気晴らしになればと明るい花を持って。パパとママ、私の幼馴染である彼らのふたりの娘たちも揃って出迎えてくれた。
その家の2階の窓から私の元実家の様子がよく見える。
通りを渡って左手に数メートルほどの場所、目と鼻の先である。
現在はそこに私の知らない人が住んでいる。外観はほぼ変わらないが、部屋のカーテンは見たことのない色のものがかかっている。キッチンから少しだけ見える中の様子も私達が住んでいた頃とは違う空気を感じる。
「ママの家から私の家はこう見えていたのか」と感慨深い気持ちになる。
私の部屋は通り側ではなく裏側の2階で、夜になると私の部屋の明かりが隣家の壁に映るのだと聞いていた。
「昨夜はずいぶん夜遅くまで勉強していたのね、明かりがついていたもの」とママに言われ、「えっ、見えるの?」と焦った。高校の時、いたずらに吸った父親のたばこ。部屋に匂いがこもらないように窓をあけて煙を吐いたのだけれど、煙まで見られたようで「しまった!」と思ったのである。
子供の頃、ママの家の子供部屋に明かりがついていると、まだ起きている、もう寝た、と母と私と何でもない会話を幾度となくした。
「あっ、めぐの部屋にまだ明かりがついている」「めずらしく愛の部屋に電気がついている」
そんな会話が平穏な生活を象徴していたような気がする。
ある夜、パパとママの隣の家が火事になった。大きな家屋が全焼するほどの火事だった。我が家の通りを隔ててお向かい側である。その日の風向きで我が家には火の粉の心配はないが、ママの家はどうかしたら危ないかも知れないと言われた。隣家が燃え盛るなか、ママが両腕で何かを抱え裸足で我が家へ走ってきた。貴重品一抱えである。それを母に預け、また自分の家へ戻り、何度も往復する。万が一に備えてのこと。ママと母の声が我が家に響き渡った。
幸い、近隣の家に火は燃え移らず、夜半には町内中が落ち着き静かになった。
我が家の玄関の廊下はママの足跡で土だらけになり、母が黙々と床を拭いていた。
あんなこともあった、こんなこともあった。
お向かいの家から我が家をみて思い出すことはたくさんある。
ちょっと不思議な気持ちであるが、自分の家族のことが客観的に見えることもあり面白い。