今年の4月に92才で他界されたフジコ・ヘミングさん。

 

1999年NHK「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」を見た時のことを今でも覚えている。

独特の感性と魅力を持つ女性、という印象を受けた。

 

そのTV放映からすぐに話題の人となり、あっという間にチケットを取るのが難しいピアニストに。

亡くなられる数年前まで世界をまわり活躍されていた。

 

TV番組「永遠のカンパネラ ~フジコ・ヘミング 愛と魂の200日~:スペシャルゲスト 美輪明宏」

(2007年 当時75才)

 

下北沢にあるフジコさんのお宅を美輪さんが訪れるシーン。アールデコ調の部屋にぴったり合うようなおふたりの装い。美輪さんを出迎えるフジコさんの笑顔が、おふたりの信頼関係を物語るようである。

特別な才能をもつ者同士、理解しあえる友人のように見える。

 

1980年代、美輪明宏さんの舞台・毛皮のマリー(パルコ劇場)を、ステージからいちばん遠い席で観賞したが、もの凄いオーラに圧倒されて感極まった。

 

フジコさんと美輪さんの会話。

 

「ここが聞かせどころだ、聞かせてやる!と思うと必ず失敗するの。どこに神様いるのかしら、すぐにバチがあたる」と笑って話すフジコさん。

 

それに同調するように「何も考えない時の方がうまくいきませんか。どう、私上手でしょう、さあ見せてやろう、聴かせててやろう、と思うと駄目!」と美輪さん。

 

“謙虚”が大事なのだとふたりの意見が一致する。

 

「認められないで終わってしまう人もたくさんいる。私ももうだめだと思っていたら、急に一夜で変わった。神様がプログラムしてくれたんだと思う」

 

敬虔なクリスチャンであるフジコさんらしい言葉だと思う。

 

ドキュメンタリー映画 “フジコ・ヘミングの時間”(2018年)が、追悼上映されている。

 

フジコさんが所有する5軒の家、パリ、ベルリン、サンタモニカ、京都、下北沢。

想いがこもったものに囲まれて暮らす。そこにはいつも猫と犬がいる。

 

1年の半分を過ごすというパリの家、街、友人たち。ベルリンの家、学生の頃に下宿していた大家さんの親子との交流は晩年亡くなるまで続いた。白い外壁のサンタモニカの家の庭を歩きながら「家をのこしたいと思う」と話す。音楽家や作家の家がそのままのこっているように。京都は宮大工にリフォームを依頼した古い町家。下北沢はフジコさんのお母様が50年以上暮らした家。

 

幼少の頃にピアノを習ったレオニード・クロイツァーのこと、フジコさんを高く評価し支援した指揮者レナード・バーンスタインのこと、若い指揮者に恋をして手紙を書いたことなど、素敵な話しがたくさん語られる。

 

フジコさんの人生をたどると”奇跡”はあるのだ感じる。

そして、奇跡はそれが起こるべき人に起こるのだと、この映画を見て思う。