友人が家業である寝具店を継いでから30年以上が過ぎた。

数年前に創業100周年を迎えた歴史あるお店である。

 

当初、友人は家業を継ぐことが嫌でたまらなかったという。どうやって父にそのことを伝えたら良いか思い悩んでいた時、新規のお客さまが訪れた。

 

そのお客さまは長年教師として務めその年に定年を迎えた女性。いろいろな事が落ち着いたところで、家族全員の寝具をすべて新しいものにしようと友人の寝具店を訪れたらしい。

 

「代々続く老舗、いつの日かこちらのお店で布団をつくってもらいたいとずっと思っていたのです」

 

店主である父親が注文を受け、細かい打ち合わせは友人がお客さまとふたりで行った。何度も話し合いを重ねるうちに、友人の寝具に対する考え方が変わってきたという。

 

布地、綿の種類やお客さまが寝具に望んでおられるもの、睡眠の大切さ、時間をかけて打合わせをして、丹念につくりあげたものを納品した時のお客さまの喜ぶ様子。

 

その仕事を終えた後、心の底からこの仕事を続けたいという思いが湧き上がり、父のあとを継ぐ決心をした。

 

「そのお客さまとの出会いが人生の転機になった」

 

所用があって電話をした数日前、その日の朝に彼女の人生を変えたお客さまが91才で他界された知らせを受けたという。最後に注文を受けたのは7年前、長いお付き合いだった。

 

ひとしきり泣き、改めてその方との出会い、その後の自分の人生を振り返り、今またこれからの人生を考える時だと話す。

 

昔と現在の寝具に対する考え方は大きく変わってきた。婚礼道具の一つとされていた時代もある。上等な布団を“打ち直し”というリフォーム作業をして長く愛用した時代はもう遠くに感じる。

 

世の中は便利になり、お手頃な価格で使い易いものが出回っている。ちょうどそろそろ店仕舞いを考え始めていたが、実はまだ未練が残ると話していた矢先。

 

人にはそれぞれ、何か重大な決断をする時に特別な人や言葉との出会いがあるような気がする。