友人が数ヶ月前に他界した夫の荷物を整理していたら日記帳が出てきたという。

 

「読んだの?」と聞くと「読むわよ、目の前にあるんだもの」とのこと。

 

それは知り合った当初の頃からのことが書いてあり、なんだかわけわからないことばかり記してあるという。ご主人は自分の日記を妻に読まれる可能性があることを想定して、自分だけがわかるような書き方をしていたらしい。

 

友人は日記の書いてある当時のことを思い出し、点と点をつなげ「あの時のことは、そういうことだったのか」と謎が解けたことがいくつかあったという。

 

「腹立つわ」と苦虫を噛み潰したような顔で言う。

「日記なんて書くものじゃないわよ。書いたらすぐ捨てる!」

 

私は夫のスマホもバッグや引き出しの中も見ない。自分の心の平和のためである。

 

若い頃、その当時のボーイフレンドがテーブルの上に電話帳を置き忘れて行ったことがある。私はその電話帳を開いて中を読んだ。そこに書かれてあったものを目にしてものすごく腹が立ったが、その怒りを彼にぶつけることは出来ない。彼の電話帳の中を見たことを絶対に言いたくなかったのである。

 

その時、もう決して見ないと決めた。

 

友人のように、既に直接話しができなくなった人の日記を読んでしまう気持ちもわからなくはない。

 

読む、読まないは難しいところだと思うが、もう声の届かないところへ行ってしまった夫に怒っている友人の気持ちはよ〜くわかるのである。