週末、農家さんが浅草近辺の大きなアパートの一角で野菜や果物などを売っていた。

たくさんの種類の野菜の他に苺、干し柿、バナナ。このバナナが普段スーパーでは見かけないような

サイズであった。まるで大きな扇を開いたような見事なバナナ。綺麗な黄色でどこにも傷んだところが見えない。あまりにも立派な姿に思わず見入ってしまったが、一房は二重になっており20本ほどもついているバナナを買っても食べ切れない。諦めざるをなかったのが残念である。

 

子供の頃、実家のある町内に”バナナのはっちゃん”という小さな果物屋があった。バナナがメインだが、季節の果物も置いている。陽気な中年のはっちゃんと奥さんと娘さんと3人暮らし、1階が店で

2階が住まいになっていた。

 

店頭には宣伝用のスピーカーが備えつけられていた。

「バナナのはっちゃんだよ〜!バナナ、バナナ、バナナのはっちゃんだよ〜!」

適当に節をつけて唄い宣伝するのだ。

 

ある日、はっちゃんの奥さんは子供を連れて家を出て行った。

 

それ以降、日曜日の夕方近くになると、店のスピーカーから演歌を唄うはっちゃんの声が聞こえてくるようになった。

 

その歌を聞いていつもは寡黙な父が声をあげて笑い、夏なら「スイカでも買って来い」と言い、冬なら「みかんでも買って来い」と言うのだ。

 

店へ行くとはっちゃんは赤い顔をして上機嫌である。店から数段高くなっている台所の床の小さな

テーブルにはお酒の瓶と湯飲み茶碗が見える。いい具合に出来上がっているのである。

 

お酒が多く入った日は演歌を数曲唄い終わった後に店のカーテンが閉められ、早じまいになった。

 

町内から賑やかな声が消えると「はっちゃん、寝ちゃったね」と母が言う。

ちょうど空も暗くなり始める頃である。

 

いつしか、はっちゃんは店を休むことが多くなった。入退院を繰り返すようになり、ついにお店を畳んだ。既に嫁いだ娘さんの家の近くに引っ越したという噂を聞いた。

 

町の灯がひとつ消え、淋しくなった。

 

浅草の見事なバナナを見て、はっちゃんの歌声を思い出したのである。