お笑いタレント・絵本作家である西野亮廣さんの言葉である。
“知らない”と“嫌い”の感情は近い位置にあると思う、と語る。
「昔、西野さんのこと嫌いでしたがと言われることがあるが、よく知らない人のことを嫌いと言える
なと思う」とのこと。
西野さんのことは絵本“えんとつ町のプペル”の出版後に知った。
凄い絵を描くなあと、その絵に魅かれた。
私が聴いている西野さんのYouTubeはVoicy のコピーらしいが、意外な事を話されている。
何も知らないのに“意外”も何もあったものではない。容姿と話し方で私が勝手につくりあげた西野さんのイメージである。
いつも「へえ、なるほど」「そうかも・・・」と思いながら聴いている。
知らないコトを嫌うのは、食べず嫌いと良く似ていると思う。
一度も食べたことがないのに「嫌い」といいきる人はけっこう多い。
見た目で感じたことに通じるのだと思うけど。私にもそういう食べ物がいくつかある。
ある日、オフィスに同僚Mさんの友人がやってきた。
もうひとりの同僚が「あの人もMさんと同じで変わった人なんでしょうね。
あんな大きな帽子なんか被って」
私はMさんのその友人のことを知っている。Mさんとは違う場所で出会い、何度も数え切れないくらいお会いしている。「そんなことありませんよ。とても良い人です」と応えるが、
「え〜、そうですか。私はMさんと同類だと思いますよ。類は友を呼ぶっていいますから」
と譲らない。
まあ、いい。私が知っていれば良いことだから。また、私も全部を知っているわけではないし。
「知らないこと」を「嫌い」に結びつけることは、氷山の一角だけを見て全部を知っているように
思うことにも似ているような気がする。
“知らない”そのことに興味があったら、知ろうと努めたいと思う。