10数年前の丁度今頃の時期だったと思う。
母が入院している病院からバスで町中にある滞在先へ向かっていた。
その日は妹と姪が大宮から母を訪ねて来た日で、私達はバスのいちばん後ろの席にゆったりと座って
いた。
数日前から降り続く大雪で道は走り難く、バスの速度はゆっくりとなる。
日が暮れると外の景色は窓に顔を近づけないと見えない。自分の顔、他の乗客の姿が窓ガラスに映る
だけである。外は氷点下、暖かいバスの中は眠気を誘う。
町までまだ遠い停留所でバスは停まった。
中央のドアから乗車し、前のドア、運転席の横のドアから下車するシステムである。
中央のドアが開いた、誰か乗ってくるのだろう。でもいつまでたっても誰も乗って来ない、それなのにドアは開いたままである。「寒いのに、どうして閉めないのだろう」と思う。そのうち、ドライバー
さんが「おかしいなあ」と言い、前のドアを開けてそこから上半身を出して後方を見ている。
「おかしいなあ。親子がいたんだけどなあ」と辺りを見回している。
私達は後ろの窓からバスの外を見るが人の気配はない。誰もいない。
ドライバーさんは頭をかしげながら運転席へ戻り、中央の乗車用のドアを閉めてバスを発進させた。
彼はその親子連れがバスに乗ってくると思い、ずっとドアを開けて待っていたのである。
「この前もあったんですよ、この場所で、同じことが何回か。変だなあ」と乗客に背を向けたまま
話す。乗客は私達3人の他に2〜3人だけである。誰も何も言わず窓に顔を近づけて外を見ている。
バスが発進してからもずっと後方を見ていたが、やはり人は見当たらない。
私はTVで観る怪談はあまり信じない。幽霊屋敷のような照明の下で如何にも怖そうな口調で語るのは
作り話のように思えてしまう。本当のコトなのかも知れないが。
ドライバーさんが本当に不思議そうな様子でさらっと語ったことは、本当なのだろうと思う。
でも、まったく恐怖感はなかった。
ドライバーさんの話では停留所に立っていたのは母親らしき女性と小学生くらいの女の子らしい。
その頃、私はいつも夕方暗くなってから母が入院する病院を出てバスに乗り町へ戻っていた。
母の部屋の窓からバスが走り去るのを見ることができる。暗闇の中では明るいバスの中がはっきりと
見える。母が部屋の窓からバスを見送っているのではないかと思い、私は決まって進行方向左側の真ん中あたりに座る。母に見えるように。
今はもうその道をバスに乗って通ることはないけれど、冬の夕方、その場所を通るバスの中に、誰かが
私の姿を見るという不思議なことが起こるかも知れない。
そういうこともあるのではないかと思ったりする。
人の強い気持ちがその場所に留まり、”見える人”だけが”見てしまう”という不思議な現象。
ドライバーさんが見た親子も、誰かを出迎えるか、見送っていたのかも知れないと想像するのである。