日曜日の午後6時過ぎ、妹の家がある高崎線・宮原駅から上野駅方面の電車に乗って家路についた。

その日は運良く、駅の階段をに降りた直後に電車がホームに入ってきた。休日は電車も空席が目立つ。ゆったりと座り目を閉じた。赤羽を過ぎたところで「次は池袋」とアナウンス。

また、やってしまった。おっちょこちょいである。

 

「どの電車に乗っても良いけど、湘南新宿ラインにだけは乗ってはいけない、上野駅には停まらないから」と散々言われていたのだが乗ってしまったらしい。

目的地からどんどん遠ざかる不安と焦りがつのる。やっと池袋に到着、すぐに上野方面の山手線に乗り換える。私の乗った車両には乗客が数人のみ。上野に到着すると行き交う人の群れに安堵する。そこから日比谷線に乗り換え、自宅に戻ったのは午後8時過ぎだった。1時間以上も道草をしてしまった。

 

数年前の夏の午前中、青森駅から新青森方面のローカル線に飛び乗った。列車はすぐに発車、少し走り始めたところでいつもと景色が違うことに気づく。丁度車両にやってきた車掌さんに反対方向に乗ってしまったことを伝えると、まったく驚いた様子も見せず「はい、では次の駅で降りてチケットを変更してください」とのこと。けっこう間違える人がいるのだろう、まったく珍しいことではないような反応だった。次の駅までが長い。40分ほどあった。焦ってもしょうがない。

 

「次の駅」に到着、ホームに降り立つと見たことのない景色。緑の森がすぐそこにある。騒音のない

静かな駅、空気が身体の中に深く入っていくように感じた。今でもその美しい景色が思い浮かぶ。

 

窓口へ行き事情を話すとまず新青森駅から東京までの新幹線の時間変更、そして次の新青森駅までの

ローカル線は2時間半後だと伝えられる。一瞬、時が止まり、息も止まった。

 

せっかくだからこの小さな静かな村を散策しようと大きなスーツケースを預かってもらえる場所がないか窓口に尋ねると、ないという。大きなコインロッカーもない。散策は諦めた。開放的な待合室に温かみのある木製の大きなテーブルがあった。そこで荷物を入れ替えたり手紙を書く。駅前に停まっているタクシーの運転手さんたちが「どうしたの?」と声をかけてくれる。事情を話すと笑って車へ戻って行く。嬉しい小さな触れ合いである。

 

この性格は母譲りである。

母はずっとバスを待っていてやっと来たバスに疑いもせずに乗る。「えっ、お母さん、このバスなの?」と背中に問いかけても、私の言葉を無視してそのまま乗ってしまう。私もその後を追う。

しばらくして、違うバスに乗ったことに気づく。「何故、行き先を確かめないの!」と私は怒った。

 

考えて見ると、それ以降、まるで母を責めたことのバツのように電車を乗り間違える。

 

母は医師の診断よりもずっと早く天国へ逝った。「早とちり!自分の行き先でもないのに目の前を通ったバスに乗ってしまったに違いない。」と私は思っている。

 

気をつけよう。