久しぶりに父方の叔母に電話をした。
私の両親は離婚をしており、父方の親類とは縁遠くなっている。
とはいえ、小さい頃に私を可愛がってくれた叔母である。自分のことを「叔母」と呼ばれるのを拒み、私は言葉を話し始めた時からずっと、今でも「お姉ちゃん」と呼んでいる。
従兄弟の連絡先を紛失してしまい、それを教えてもらいたくて電話をした。
最後に会ったのは数年前、市内まで車で1時間半かけて母のお墓参りに来てくれた。
運転は叔父である。
若い頃からとてもお洒落な叔母は、ジーンズに毛糸のポンチョを着ていた。それが良く似合っていた。
「これ、可笑しくない? 店員さんが“よくお似合いですよ”って言ってくれたんだけど。どう?
可笑しくない?」と、昔のままである。
それを聞いていた叔父が「店員さんはそういうに決まっている」とポツリ。
私の物心がついた頃から、叔母夫婦は“かかあ天下”であった。
叔父は無口であり、叔母がはっきりとした口調でよく喋る人だったので“かかあ天下”ぶりが余計に
目立った。
現在、叔父は認知症を患っているという。
「お父さんねえ、いろんなことをすぐ忘れちゃうの」
身体はどこも悪くないので晴れた日は毎日ふたりで散歩へ行く。ごはんも普通に食べる。
ひとりの時は書斎にこもっているらしい。
叔父が定年をむかえた時、叔母のアイディアで退職金の一部を使って叔父専用の立派な書斎を
つくった。
「だって、それまで良く働いたんだもの」と叔母は当然のことのように話していた。
叔父の認知症は、私には信じがたいことであった。
「おねえちゃん、大変だね」という言葉しか出ない。
「そんなことない、ぜんぜん大変じゃないの!みんな同じ、私だけじゃない。お父さんは長い間、
ずっと家族の為に働いて来たのよ。私も幸せに暮らしてきた。当たり前のことをしているだけ。」
戒められたような気がした。もちろん、叔母にそんなつもりはない。私の心の中にある甘えが叔母の
言葉に反応しただけである。
私が想像するよりもずっと辛いことが多いはず、と思う。
愚痴ひとつ言わず、「あんたもしっかりしなさい!」と激励される。頭が下がる思いである。
最後に「叔父ちゃんに宜しくね」と、いつも通りに出てしまった言葉。
叔母は大声で笑いながら「わかった、言っておく!」
そうか、叔父は私のことを忘れてしまっているのか。
淋しいけれど、それが現実である。
気丈な叔母が健在で私の気持ちは救われた。
ありがとう、お姉ちゃん。