絵画の世界では昔から贋作が蔓延しているという。

そのひとつにゴッホの「アルピーユの道」がある。

 

私の大好きな絵、ピカソの「役者」(The Actor)という絵は、NYのメトロポリタン美術館に展示されている、サイズ196.2×115.3 cmの大きな絵である。

 

わざわざその絵を観るためにNYを訪れた友人は、その場に座り込むほど感動したという。

私にとっては、見れば見るほど心が絵の中に引きずり込まれそうになる不思議な絵であり、この絵に

出会えたことに感謝をしているのである。

 

もしこれを「贋作」と言われたら、私の感動は変わるのだろうか。

 

私の感動は変わらない、と思う。

ピカソが描いた絵だから感動したのか、無名の画家が描いた絵でも感動したのか、それはわからないが、立ちすくむ程に感動したことは事実である。

 

世の中に偽物は溢れている。

 

若い頃、私を可愛がってくれていた大叔母がサファイヤの指輪を買ってくれた。

たくさん見た中から私自身が選んだものである。

まわりをいくつかの小さなダイヤで囲んである、金額的にはけっこう高価なものだった。

 

数年後、宝石鑑定士として働いていた友人がその指輪を手にとり、冗談半分で鑑定を始めた。

 

「言いにくいけど、偽物」

 

すぐにその指輪を売ったヤツの顔が浮かんだが、時既に遅し。そして、大叔母に申し訳ないと思った。

偽物に大金を支払わせてしまった・・・涙、である。

 

しかし、私にとって、その偽物の指輪の価値が下がったかと言えばそうではない。

その指輪は大叔母の気持ちであり、私の感謝の気持ちが消えてなくなることはないのである。

 

もちろん、大叔母には偽物だということは伝えなかった。親類縁者、誰にも話していない。

 

大ショックだったが、不思議なもので、日が経つに連れ指輪への愛着がわいてきたような気がする。

大叔母と自分への不憫な思いがそこに加わったからかも知れない。

 

いろいろな想いが込められた指輪である。