ずいぶん前のことである。

 

日本から持ち帰った日本円の現金をNYのA銀行(仮名)でドルに両替した。

その数千ドルをアメリカ大手銀行の自分のアカウントに入金した。

 

A銀行で両替したドルの中の100ドル紙幣に1枚偽札があると指摘された。もちろん、それはお金としてはカウントしてもらえない。こちらは100ドルの損失である。おまけに、住所・氏名まで書かされ、何やらの書類に署名までさせられた。

 

すぐにA銀行に電話をして、事情を話した。しかし、その偽札がどこで入り込んだかは不明であるから、当銀行では対処出来ないとのこと。考えてみれば、当然のことである。やむを得ない。運が悪かったとしか言いようがない。

 

すっかり忘れていたこの事件(我が家にとっては大事件)、「世界の果に、ひろゆき置いてきた」を

見て思い出したのである。

 

番組スタッフがナミビアの砂漠でひろゆき氏に旅費として現金を渡した。ナミビア紙幣とアメリカドル紙幣、合計で10万円相当。その中に100ドル紙幣があったのだ。

 

「100ドル紙幣なんてボク使ったことないし、100ドル紙幣って基本偽札としか思われないから

使えないと思いますよ。」と言った。

 

実際、アメリカでは50ドル紙幣と100ドル紙幣は必ずチェックされていた。最近では20ドル紙幣もチェックされる時があった。まさか、銀行から偽札を渡されるなんて、ショックな出来事であった。

 

生活していればいろいろな紙幣のおつりをもらう。その中には、触ってみて「これ大丈夫かな」というものもあった。ちょっと紙質が厚いのではないかと感じたりした時には、印刷の具合をいろいろな角度から確認する。それを使うときは「すんなり通りますように」と願う時もあるのだ。

 

自ら好んで偽札を掴まされるわけではない。もうこれは運としかいいようがない。でも、まるで犯罪者のように扱われるのは困る。

 

「世界の果に、ひろゆき置いてきた」は節約旅行のようだが、日本の日常とかけ離れていてなかなか

興味深い。旅の途中から俳優の東出 昌大さんが同行している。

 

世界最貧国のひとつであるマラウイは人の親切度が世界第6位とのこと。

「価値観が違う。お金がないことは不幸せではない」としみじみ語るおふたり。

 

地元の人たちとの触れ合いや駆け引き、知らない世界を観るのは少し視野が広がるような気がする。