フジコ・ヘミングさん インタビューから (2023年、2022年)
フジコさんの手の平は厚く、指は太い。ご本人の言葉である。ピアニストにとって理想の指らしい。「これがすごくいいんです。皆さんが私の“音色、音色”っていうけれど」その太い指がふじこさんの
“音色”を奏でる。
ピアノを弾く人の手は弾かない人の手とは違う。スポーツ選手同様、毎日練習していれば筋肉が
つくらしい。
「自分の“音色”を奏でるためには、性格を和らげることも大切。絶対に人を傷つけない。どんな嫌いな人でも、威張っている人でも、うぬぼれている人でも、彼らをあざ笑うようなことはしない。そういうことが“音色”に現れる。汚い心では、人を感動させることはできません」
「演奏には普段の行いが全部出てしまうから、気をつけた方がいいですね」と。
取材女性の「恋愛をすると音楽にも良い影響があるのでしょうね」の問いに、「誰かを好きになる感情って素晴らしい、お酒よりも美味しい」
90歳のフジコさんがこのような発言をされても、少しも違和感がない。
いま恋愛をされているとしても、それが当然のことのように思える。
「私の場合は悪趣味で、相手はみんな嘘つきの女たらしばかりだった。でも、嘘つきで酷いやつの方が魅力があるのよね。人が良いのはどうも退屈」
フジコさんの初恋は、戦争中に疎開した岡山でのこと。小学校に駐屯していた兵隊さんだった。その人は一度も笑ったことがなく、いつも憂鬱そうな顔をしていたけれど、一度だけ廊下で話しかけられた
言葉は「今日はピアノをひかないのですか」だった。その後すぐに終戦になり、二度とその兵隊さんに会うことはなかった。今から78年前、1945年のことである。
「その後、その人がどういう人生を送ったのか、それだけでも知りたい」
そういう想いもフジコさんの“音色”になるのだと思う。
20年以上前に出版された自叙伝の中にフジコさんのお人柄が表れているトピックがある。
ある日、街のブティックの前を通ったらウィンドーに素敵なセーターが飾られていた。その時は所持金がなかったのでそのままアパートへ帰った。数日後「買おう」と決意して街へでかけた。途中、物乞いの少年がフジコさんにお金を恵んでほしいと現れた。フジコさんは手持ちの現金に余裕がなかったのでその少年と一緒に銀行まで行き、お金を引き出して渡した。その後、ブティックへ行きセーターを買った。支払いの時、それはセールになっており、割引額はさっき少年に渡した金額とほぼ同額だった、
というお話。