作家・北方謙三さん 過去のインタビューから。
アフリカの奥地を旅行していた時のこと。
言葉も通じず、途中で車も故障、大変な目に遭いながらやっと大きな街に出た。ホテルで身体の砂を洗い流して安堵しながらも「小説家という職業っていったい何なのだろう。あのへんで飢えて死んでいる人たちには何の役にも立たないじゃないか」と思いながら庭へ出ると、ベンチにふたりの地元の女性が座っている。
ひとりの女性が音読してもうひとりの女性に本を読み聞かせているのである。
おそらく字が読めないのであろうその女性は、真っ白なハンカチを握りしめながら、その
ハンカチで涙を拭うのも忘れて泣いている。
この時に「ああ、人間には物語があって良かったのだ」と思った。
北方謙三さんのこのお話はとても心に響いた。
多くの俳優さんが朗読の活動をなさっている。表現力が豊かなので、その語りに引き込まれることだろうと思う。お寺を巡って活動されている方もおられる。
女優・白石加代子さんの朗読劇を一度見てみたいと思いながら機会を逃している。
まだ小さな子供の頃、夏になると母が暗い蚊帳の中で話をしてくれたことを思い出す。
昭和8年生まれの母は幼少期に戦争の体験をしている。空襲のあった夜のことを子供たちに語り聞かせてくれた。
記憶を辿って話す母の話を、子供たちは物語を聞くように黙って聞いていた。
とても話し上手な友人がいる。
彼は自分を飾らず、見栄を張ることもなく、卑下もしない。
自分の言葉で素直に”自分のこと”を語ることができる人である。
数人が集まったある日の食事の席で、彼はとても感動的な話をしてくれた。月日が経ってもその話が心の中にのこり、もっと聞きたい、と思ったある日、何ヶ月ぶりかにその話のことを尋ねた。
ご本人、覚えていない。「あ、そう? 俺、そんな話をしたんだ、ふ〜ん」と。
あの日の夜、少しのお酒とちょっとしたきっかけが、素敵な物語をつぐんだのかもしれない。
もっと、もっと、たくさんの人の話を聞きたい、と思う私である。