今日から青森ねぶた祭りが始まる。
母の実家は市内の繁華街で商売をしていた。
祖父は畳職人であり、母の弟が後を継いだ。祖父は寡黙な頑固おやじである。
職人の頑固おやじといえば昔のTVドラマの寺内貫太郎だが、祖父は背が高く痩せ型、外見は貫太郎とは真逆である。
木造2階建ての古い家は、通りに面したところにあった。手前に店(作業場)があり、その奥に住まいがあった。夏は店の戸を開け放し、奥の住まいに風を入れる。どこかしこにイグサの匂いが漂う。
夏の暑い夜には、店の前に頑丈な木の土台を置き、その上に畳1枚を乗せ、涼む場所をつくる。
ねぶた祭りで賑わう夜、まだ幼少の私はその畳の台にひとり座り足をぶらぶらさせて涼んでいた。
店の電気はつけていないが、奥の住まいからは明かりが漏れ、祖母や母、叔父叔母の声が小さく聞こえてくる。祖父は喋らない。祖父の存在をおしえるのはたまに咳き込む音である。
隣近所は店じまいをして、あたりは街灯のみで薄暗い。通りひとつ向こうの大通りからは太鼓、笛、
手振鉦(チャッパ)、鈴の音と“ラッセラー、ラッセラー”の掛け声が響いている。
ねぶたの衣装(浴衣)を着て花笠をかぶったひとりのお兄さんが、「ここの家の子?」と私に声をかけてきた。「うん」と首を縦に頷いた。「ちょっと座っていいかな」私はまた首を縦に頷いた。
祭りで踊る人をハネト(跳人)と呼ぶ。ハネトの踊りは激しい。気をつけないとアキレス腱を切るほどである。高校生の頃、ねぶた祭に参加した翌日はふくらはぎの筋肉痛に悶絶したものだ。お兄さんは跳ね疲れたのだろう。
幼少期、私は内気だったから隣に座ったお兄さんと何も話していないと思う。
特に気まずかったという記憶はない。少し休んだお兄さんは「ありがとう」と言って、浴衣の腰につけていた小さな布袋からありったけの小銭を出して私の手の平に乗せ、祭りへ戻って行った。
まだ幼かった私は他人からお金をもらったことに罪の意識を覚え、その小銭をどうしようかと迷った。考えたあげく、店と住まいの間にある壁の穴に押し込んで隠した。
数日が過ぎて母とまた祖父の家を訪れた。座敷に上がり母と叔母がいつもの世間話をしていたのだが、
「子どもたちだと思うんだけど、家の壁の穴にお金をいっぱい詰めていたの。私、もらっちゃった!」と、叔母は嬉しそうに笑った。
「あっ、あの時のお金だ」と思いながら、事情を話すことも出来ずなんだか悔しい思いをした。
お兄さんは、あの後、また祖父の店の前を通ることはあったのだろうか。
あの夜、ひとりで座っていた女の子のことを思い出すことはあっただろうか。
祖父が他界してから古い家は新しく建て替えられ、近所の様子もかわり、あの頃の面影はなくなってしまった。
私の思い出だけが今もまだ残っている。