ある場面に遭遇し、過去の自分を思い出した。
何かに対しての反論、意見は自分の感情が落ちついて冷静になってから話した方が良いと再確認。
興奮したままの状態だと言わなくてもいいことまで口から出てしまう。
相手を傷つけ、ひいては自分を傷つけることになる。
元来、私は短気である。若い頃の私は何か気に入らないことを言われると、相手の話が終わらないうちに反撃した。よく考えずにやってしまうのだから言葉遣いも酷かっただろうし、相手の人格を否定するような失礼極まりないことも言ったことがあるかも知れない。
それを何度か繰り返していると、当然、痛い目に遭う。いつかブーメランは飛んでくるのである。
その時の痛さは半端ない。ブーメランとはありがたいものであると、私は思っている。
人の痛みをしっかり教えてくれる。
「やってしまった」と反省した後、「とりあえず我慢しよう。落ち着いてから話そう」と試みたところ、当時の私は感情が落ち着くまでに最低3日が必要だった。
最初の1日目はほとんど健康を害するくらいの我慢である。我慢は体に悪いというけれど、この場合の我慢はしなくてはならない。そして、3日もたつと、もう反論する機会を逃しているのである。
これはまた、問題である。言いたいことを言えずに我慢で抑え込んでしまうのだから。
アメリカの高校ではディベート(Debate)の授業がある。あるトピックについて、賛成派・反対派の
二つのグループに分かれて、それぞれのグループが賛成または反対の根拠を述べ合い、説得力を競い合うこと。
それ故、アメリカ人は異論を述べたり、議論をすることで喧嘩になることはほとんどないと言われる。実際には驚くほど怒り出す人もいるが、それは多数派ではないと思っている。
苦い経験を重ね、友人、知人には、昔のような態度をとることはなくなった(と自分では思っている)が、自分の身内には未だにきわどい時がある。
「人の振り見て我が振り直せ」
まだまだ修行中、永遠に修行である。