日曜日、数日前にNYへ戻った友人からメールが届いた。
パートナーへのお土産に持って帰ってもらった歌舞伎の絵が描かれた団扇、彼がとても喜んでくれた
様子である。「ナイスだからフレームに入れて壁に飾る予定」とのこと。そこまで大切にしてもらえるとは、感激である。小さめの団扇だったのでハエ避けにでも使ってもらえばと思ったのだが、そんなに喜んでもらえるのはこちらも大変嬉しい。
こんなことだったら、もっと高価なものを買えば良かったと思うのであるが、それは間違いのもと。
じっくり考えて選んだ高価なものでもそれほど喜んでもらえない時もある。
“喜んでもらいたい”という期待が大きすぎてがっかりするのであるが、もちろん相手に非はない。
こういうことを経験した上で、あまり深刻に考えずにお土産やギフトを買うことにしているが、
想像以上に喜んでもらえるのは本当に嬉しいものだ。
感謝の気持ちがあふれてくる。
NYに住み始めの頃である。アメリカ人同僚の誕生日であった。
その頃は生活に余裕がなくギフト用の予算も多くはない。いろいろ歩きまわったが、手頃な値段の
スカーフを買った。高級店ではないのでギフト用の包装はしてもらえない。
日本を発つ時に友人が綺麗な風呂敷を持たせてくれた。「役に立つことがあると思う」と。
銀座の裏通りにある老舗店のもので立派な桐の箱入りである。その箱に買ってきたスカーフを入れ、
それをまた誕生日らしいラッピングをして同僚に渡した。
彼女はとても上手に喜んでくれた。
その日の勤務中に同僚のボーイフレンドからお祝いの電話がかかってきた。
同僚は興奮したように、「Yからもギフトを貰ったのよ!」と嬉しそうに話す。
「とってもビューティフルな日本のボックス!」
「えっ? そちらですか? 箱の方が気にいりましたか・・・」
かなり複雑な気持ちだったのを覚えている。
友よ、確かに役に立った、ありがとう。