休日、かっぱ橋本通りの七夕祭りを見に行ったがすごい人の波に圧倒されて、すぐに脇道へ移動した。
1本ずれた道から賑わう祭りを感じるのもなかなか良いものである。たった1本道を隔てただけで、
ひっそり閑散としている。
大きくはないけれど門構えの立派なお寺があった。
しばし、蓮の花の模様が描かれた壁画をみて通り過ぎる。
祭りに戻るには暑すぎた。かっぱ橋道具街沿いにある図書館に入るとひんやりして生き返った。
ページ数の少ないエッセーならすぐに読み終える。
ふと目に留まったのが、塩野七生さんのエッセー「生き方の講習 若者たちへ」である。
イタリア在住の作家(歴史エッセー)であることは知っていた。書店で本を手にとってみたことは
あるが、私には難しそうで、結局、一冊も読んでいない。
図書館で読んだエッセーは若者に向けた本で読みやすい。私は若くはないが、読んでいて違和感はなかった。言語を学ぶことについて次のような内容が書かれている。
“人は、何かを伝えようとする人の話を聞く。
流暢でなくてもいい、基本を学ぶことが大切“
私にとっては心強いお言葉である。
もっと塩野七生さんのお話が聞きたいと思い、YouTubeで探してみた。
2017年に”ギリシア人の物語 III 新しき力”を出版された時の短い動画があった。
主人公をアレキサンダー大王にしたことを「年をとった主人公を書くと書評家が褒めてくれるが、ついに枯淡の域に達したかと言われたりする。私はそれを潔しとはしないので、そう簡単に枯淡の域に達するものかと、若い男性を書こうと思った」と語られている。
「枯淡」恥ずかしながら、この言葉を初めて聞いた。
本を読んでいる時に使ったことのない言葉が出てくるが、いちいち調べることはない。漢字ひとつ
ひとつの意味で想像しながら読み進める。この言葉も、もし出てきていたならば「淡々としてあっさりしている様子」くらいに解釈したはずだ。
枯淡:俗世間の名声や利益などにとらわれないで、あっさりしていながらも趣があり、味わい深さを
感じること。
たまに使わないと忘れてしまいそうな言葉であるが、意味だけでも覚えておきたい。