日曜日、いつもより早く目が覚めた。
暑くならないうちに散歩をしようと、まず上野不忍池へ、そこから浅草まで歩いた。午前8時過ぎの
雷門はまだ人が少なく歩きやすい。浅草寺から花やしき通りにぬけようとした時、向こう側から歩いて来る夫に気づいた。
浅草近辺にいるはずのない夫である。彼は木曜日から仕事で東京を離れている。翌日の月曜日に戻ってくるはずだが、予定が変更になったのだろうか。よくあることだ。今日一日自由な時間を楽しもうと
思っていたので、思わぬ夫の帰りに少々気が抜けた。夫が気づいて声をかけてくるだろうと思ったら、彼は私とすれ違っても気づかずに通り過ぎた。「え〜!?」と驚き、思わず振り返ったが、彼はそのまままっすぐ歩いて行った。私も追わなかった。
とても奇妙な気持ちのまま家路についた。夫が帰って来るとは思わなかったし、朝早くに掃除もせず
外出したので部屋の中は少しばかり乱雑なまま、ちょっと気まずい。
片付けをしなくてはと面倒な気持ちで帰宅したが、部屋には夫が帰ってきた形跡がない。出張の荷物がない。空気に気配がのこっていない。
そうだとすれば、あれは人違いなのか。
世の中には自分と似た人が3人いるという。それにしても、髪型や服装までほとんど同じなんて不気味である。短パンにポロシャツ、キャップ、普段の夫の姿にあまりにも似すぎている。
夕方、夫から連絡があった。無事に仕事が終わり、明日帰宅とのこと。
アメリカ、ニューメキシコ州のギャラップという町にエル・ランチョというホテルがある。
1937年にルート66沿いに建てられたこのホテルは、映画産業全盛期だった時代、西部劇映画の
撮影のために滞在していたハリウッド・スターの宿泊用に建てられた。
現在、ホテルの2階の壁には宿泊したスター達の写真が飾られている。
その中には、ジョン・ウェイン、カーク・ダグラス、ルーシー・ボール(I Love Lucy)がいる。
この歴史あるホテルにゴーストが出るとの噂がある。夫は何度か宿泊したことがあるが、幸いなことにゴーストには会っていない。
10年以上前になるが、サンタフェを旅行中にこのホテルを訪れたことがある。1階にあるレストランで食事を済ませた後、ホテル内にあるギフト・ショップで買い物をし、サンタフェへ戻る3時間弱の
ドライブに備えてそれぞれが2階にあるレストルームで用を済ませてからホテルの入り口で待ち合わせをすることにした。
駐車場はホテルの正面玄関を出てすぐ横の場所にあるが、日差しが強いのでホテルの入り口で待ち合わせたのだ。私の方が先につき、入り口の掲示板に貼られてある催し物のチラシを眺めていると、右視線に夫が車に向かってスタスタと歩いて行くのが見えた。「声くらいかけてよ!」と心の中でつぶやきながら、後を追った。夫が車のドアをあけて車内に入るのが見えた。
ところが、車の中に夫の姿はなかった。ホテルの入り口の方を振り返っても人影はない。
オフシーズンである、お客は私達と数えるくらいの人しかいなかったので、駐車してある車も少ない。あたりを見回したが誰もいない。仕方なく、入り口へ戻った。すると、ホテルの中から夫が現れた。
「一度、車へ戻ったでしょう?」と訊ねるも、答えはノー。
どう考えても、おかしな話だった。
浅草のことも、他人の空似なのかゴーストなのか、真相は不明、狐につままれた気分である。