“コーダ あいのうた(CODA)”(2021年)

聴覚障害者である両親と兄と暮らす女子高生ルビーは、家族の中でただ1人耳が聴こえる。ルビーは

小さい頃から家族の通訳をしてきた。成長するにつれ自分の将来のことを考えると現状の生活に対する葛藤が大きくなる。自分の夢の為に家族から離れることは出来るか。

 

母親役のマーリー・マトリンは、1986年の映画『愛は静けさの中に』(Children of a Lesser God)で主役を演じている。家族の中でひとりだけ聴覚障害者として生まれ、心を閉ざしてきた女性。通っていた特別支援学校で働く彼女が、そこに赴任してきた教師(ウィリアム・ハート)と恋愛関係になり、ふたりの間に生じる葛藤と苦悩を描いている。

 

当時、マーリー・マトリンは21歳、現在57歳である。21歳の時とは異なる美しさに感動した。

 

子供の頃、近所に聴覚障害をもつスミちゃんという女性がいた。年齢は50歳代だったと思う。

彼女おは大きな乾物屋さんで商品をパッキングする仕事をしていた。休み時間になると、よく母に会いに来ていた。母は自己流の手話と顔の表情を使ってスミちゃんと会話をしていた。それでふたりの会話はちゃんと成立していたようであった。嬉しいことも、悲しいことも、そうやって会話をしていた。

 

スミちゃんは気性が激しいところがあり、職場で嫌なことがあった時は怒りをあらわに、いつもよりもチカラを込めて手話を使って母に伝えていた。

 

お正月三ヶ日が過ぎると、スミちゃんは私たち3人兄弟ににお年玉を持って挨拶に来てくれた。

いま考えると、3人分のお年玉はスミちゃんの生活に負担をかけなかっただろうかと心配になる。

母は後日、スミちゃんが身につけるものをお返しに渡していた。

 

大人になってわかること、気づくことが多すぎる。気づいた時には胸に痛みがともなう。私が東京の

学校へ行くようになり、夏休みや冬休みに帰省した時にもスミちゃんと会うことはなくなった。

身寄りのない彼女は、施設に入所したと母から聞いた。母は寂しそうであった。

 

何故あの頃、スミちゃんが我が家へ遊びに来ていた時にどこかで手話を習わなかったのだろう、

もっとスミちゃんと話をすればよかったと今頃になって悔やむのである。

 

しかし、母は身振り手振りでちゃんと通じていた、と信じている。

必要なのは伝えようという気持ちと理解したいという気持ちだと思う。

 

数年前にYouTubeで出会った“デフサポちゃんねる” 難聴者であるユカコさんが運営されている。

概要欄には、「難聴者の未来を華やかに!をモットーに、全く耳の聞こえない当事者である代表ユカコと、専門家が共に聞こえない子どもたちのために活動している団体です」と書かれている。

 

現在、ユカコさんご夫妻とふたりの娘さんたちはアメリカのテキサスで暮らしている。

 

明るくてポジティブなユカコさんのチャンネルは、いろいろな事を教えてくれ、気づかせてくれる、

視聴者が元気になる動画である。

 

(ゆかこさんは標準語の他に関西弁も話されます。現在、英語に挑戦されている最中です)