上野駅から不忍池を通り抜けた所にある大通り(不忍池通り)を渡り、コンビニの横にある道を歩いて行くと境稲荷神社・弁慶鏡井戸があり、そのすぐ先に東京大学の池之端門がある。門の入り口の真向かいに「古書ほうろう」という何か懐かしさを感じる本屋さんがとても良い雰囲気で建っている。

 

東京大学医学部から安田講堂、三四郎池から赤門、散々迷ったが池之端門から赤門までの道のりを

身体で覚えたように思う。

 

国の重要文化財指定のキャンパス内を歩くと、長い歴史を静かに感じることができる。

 

2時間以上歩き回ったのに、どこからも大きな声が聞こえてこない。

大学ってこんなに静かな場所だったろうかと思う。

 

私が小学校6年生の時、同級生のお兄さんが東大に受かった。教師が「木下君のお兄さんが東大に受かったんだぞ、凄いな」と帰りのホームルームで話した。木下君はニコリともせず帰り支度をしている。近くにいた私に聞こえるように「俺は兄ちゃんが大嫌いだ!兄ちゃん、東京へ行くからせいせいした」とランドセルを背負って教室を出て行った。

 

木下君の実家は町の商店街にあるお茶屋さんだった。いつも気にもせずに彼の家の前を通っていたのだが、お兄さんが東大に受かったと知った後、木下君のお店兼住まいは厳粛に見え、夜には品物を並べてあるショーウインドーのライトが神々しく見えた。人の心情とは不思議である。私だけだろうか。

 

数日後、母は木下君のお兄さんの勉強方法を仕入れてきた。学校の勉強は学校でやるのみ、塾へも通わない。家では百科事典ばかりを読んでいたとのこと。我が家の本棚にも立派な百科事典が十数巻本棚にずらりと並んでいたが、それを読んで東大に入れとは言われなかった。さすがの母も、百科事典を読んだだけで東大に受かるとは思っていなかったようだ。

 

ある日、私がホームルームで渡された父兄への手紙か何かを四つ折りにしていたのを見て、木下君が

言った。「字が書いてある方を表にして折るんだよ。そうすれば、その紙が何なのかすぐにわかるでしょう」と。幼稚園で習ったらしい。

 

考えてみれば、それ以来、私は木下君の忠告を忠実に守っている。

もちろん、そこに書いてある内容によりけりだが。

 

今回、東京大学の見学に誘ってくれた友人に感謝している。

こういうことでもなければ、一生訪れることのない場所であり、歴史的建造物を見ることも、長い日本の歴史を肌で感じることもなかった。木下君のことも思い出さなかったと思う。