昨年秋に骨折、約4ヶ月の入院生活後に介護施設に入所した83歳の叔母。
入院中は家族との面会も規制されていたせいか、叔母の記憶に問題が生じていた。
二人の息子のことは覚えているが、お嫁さんたちのことを忘れてしまったり、孫たちの写真を見せても顔は認識できるものの、名前が出てこなくなってしまった。
お嫁さんと孫のことをはっきり思い出せないのであれば、姪である私のことなど思い出せるわけがないと思いつつ、叔母に春夏用のひざ掛け、オレンジ色の大輪の花模様が描かれた日本手拭を送った。
手紙も添えたが、その手紙で叔母を混乱させるようであれば渡さないでほしいと従兄弟に伝えた。
誰だかわからない人に“おばちゃん”と呼びかけられている手紙を受け取っても困惑するだけだろう。
しばらくたって従兄弟のお嫁さんから連絡が来た。彼女も叔母(彼女にとっては義母)を惑わせてはならないと面会に出向いていなかった。
従兄弟が私から届いた叔母への贈り物を持って行った日、叔母はとても調子が良かったとのこと。
それまで顔も名前も記憶から欠けていたお嫁さんたちのこと、姪である私のことも覚えていたらしい。私の手紙も叔母に渡った。
私達のことも、他のいろんなことも、どんどん忘れていってしまうのだろうかと悲しんでいたが、
記憶が戻るとは嬉しい驚きである。
入院で環境が変わればいろいろな症状が現れることがあると、母が入院した時に担当医師に言われた
ことを思い出した。
入院中の母は親戚の家へ電話をして、「今日、お父さんが来ないんだけど」と不安気に言った。電話に出た親戚は一瞬「は?」となったが、「大丈夫、そのうち来るから」と答え、母は納得して電話を切ったという。母のいう「お父さん」は自分の夫であり、私の父である。もうずいぶん前に他界している。親戚のその時の応答は素晴らしいと思う。私だったら本当の事を言ってしまいそうであるが、それでは母がショックを受けてしまっただろう。その後、母に不思議な言動はみられなかった。
たぶん、寝起きだったのだと思う。私もたまにある。夢から目覚めて「ここはどこ?」的なことが。
一時のことに憂いたりせずに、気長に見守ることが本人の為にもまわりの人のためにも必要なんだ
なあと思う。
施設の面会はまだルールが厳しく、なかなか私まで順番がまわってこないが、
記憶が戻った叔母に会えるのが待ち遠しい。