架空の人物。
クラシック界の頂点に立つカリスマ指揮者、リディア・ター。
最初の数分間はさっぱり意味がわからない。クラシック音楽の知識がないと日本語字幕を読んでも
何を語っているのかまるっきり理解できない。
バッハ、マーラ、カラヤン、バーンスタイン、デュプレという名前がどんどん出てくるが、人物名を
聞いたことはあるがそれに関しての知識がないから、ただ言葉が流れていくだけである。
イギリス出身のチェロ奏者であるジャクリーヌ・デュプレだけは映画”ヒラリー&ジャッキー”を観て
いたので知っていた。(この映画も感動的である!)
まもなく、クラシック音楽の専門的なことはわからなくても作品に引き込まれていく。
サスペンスなのか、ミステリーなのか、ホラーなのか、多様な要素が混在している。
リディアは、時に横暴であり、独裁的であるが、繊細であり、臆病でもある。
やがて、リディアは自分の言動から起きた問題をコントロール出来なくなり、精神のバランスを崩していく。周囲の音に神経過敏になる。ドアの向こうの音、冷蔵庫の音、ペンの音、何故か夜中に動き出すメトロノームの音。追い詰められていく心理状態がうまく描かれている。
本作品にはいくつもの問題が示されている。
権力、ハラスメント、キャンセル・カルチャー、才能を持つ人物の仕事の評価と人間性、など。
(*キャンセル・カルチャーとは、著名人をはじめとした特定の対象の発言や行動をSNSなどで糾弾し、不買運動を起こしたり放送中の番組を中止させたりすることで、その対象を社会から排除しようとする動きのこと:ネット参照)
NYの実家へ戻り、学生の頃まで使っていた自分の部屋のクロゼットにあったVHSのビデオを観る。
そこには、指揮者バーンスタインが映っており、音楽とは何かを語っている。
「音楽がもたらすさまざまな感情には制限がない。そして、それらの感情の中には、言葉で説明することができないほど特別で深いものもある。言葉に表現出来ない深い感情を音で表現することが出来る」
涙を流しながら画面を見つめているリディア。
リディアの音楽に対する姿勢は一貫して変わらない。音楽と向きあい、情熱を注ぎ、スコアを読み
解き、作曲者の意図をしっかり読んで解釈をして演奏に挑むという姿勢。
最後のシーン、リディアは今までとはまったく違う環境、場所で指揮をするが、
その情熱と姿勢は変わっていない。
映画を観た人それぞれ解釈の仕方、考え方は異なって当然のこと。
私の解釈は、リディアの「再生」「復活」「新たな旅立ち」だと思っている。
ケイト・ブランシェットの演技は素晴らしかった!
疑問に思ったいくつかのことを確認するために、もう一度観に行くつもりである。