来週、四国に住む友人が出張で東京へやってくる。2泊の短い日程であり、会えるのは帰る前日の午後

の数時間のみ。東京都美術館で催しているマティスの展示を観たいというので上野まで場所の確認をしに行った。当日、迷子になっている時間はない。

 

上野公園内にはいくつかの美術館がある。昨年の春まで工事中だった国立西洋美術館の入り口まで

行ってみた。ロダンの彫刻がある。

 

“カレーの市民”の彫刻の写真を何枚か撮っている時、隣から親子の会話が聞こえて来た。

 

「これは、ロダンのカレーの市民っていうんだよ」と若いパパ。

「どうしてカレー? カレーって何?」と幼稚園児くらいの女の子。

「カレーはね、確か、フランスにある市だったと思う。ちょっと待ってね、調べるから」

「パパ。どうして、この人たちは怖い顔をしているの?」女の子は彫刻を下から覗き込んで尋ねる。

「それはね、確か、これから処刑されるんじゃなかったかな。ちょっと待ってね、調べるから」

 

子供って素直でいいなあと思う。パパも適当な言葉で濁さない。確かでないことは「ちょっと待っ

てね。調べるから」とスマホで検索する。

 

私は他の美術館で何度もこの彫刻を観ている。間近で観ている。彫刻の迫力、力強さに圧倒されたが、あの子のような感情を抱いたことはない。いちばん大切なところを観ていなかった。

 

私は写真を数枚撮ってその場を離れたが、その親子はまだロダンの彫刻を観ていた。パパは一生懸命

スマホで探索している。

 

夜、ネットで調べてみた。

あのお父さん、知識が豊富だなあ。でも人に伝える時はちゃんと再確認することは大切。子供でも大人でも聞いたことをそのまま誰かに言い伝えることがあるから。

 

偶然にも聞こえてきた可愛らしい声のおかげで、自分に欠けていた部分に気づいた。

嬉しい偶然である。

 

以下、要約されたものを抜粋。

 

イングランド王のエドワード3世は、クレシーの戦いで勝利を収めた後カレーを包囲、フランスのフィリップ6世は、なんとしても持ちこたえるようにカレー市に指令した。しかしフィリップ王は包囲を解くことができず、飢餓のためカレー市は降伏交渉を余儀なくされた。エドワード王は、市の主要メンバー6人が自分の元へ出頭すれば市の人々は救うと持ちかけたが、それは6人の処刑を意味していた。エドワード王は6人が、裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いてくるよう要求したのである。

 

カレー市の裕福な指導者のうちの一人が最初に志願し、すぐに5人の市民が後に続いた。 やせ衰えた6人は城門へと歩いた。 まさにこの、敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間をロダンは捉え、強調し、迫力ある群像を作り出したのである。

 

歴史的には、処刑が予測された6人の命は、エドワード王妃フィリッパ・オブ・エノーの嘆願により助命された。 彼女は、生まれてくる子どもに殺戮は悪い前兆となると言って夫を説き伏せたのである。