大昔の話である。
お偉い方が3名、夕食へ出掛けた。彼らは友人同士であり、それぞれがビジネスで成功を収めている。当時、40代の男性たち。
その日の夜、当時流行っていた六本木の炉端焼きで食事をしたとのこと。カウンターに3人並んで
座り、“おまかせ”コースを注文した。
何品目かの串焼き、左端の一人目に海老が出され、続けて真ん中の二人目にも海老、右端の3人目に
何故か銀杏が出された。銀杏を出されたその男性は、何かの都合でこうなったのだろう。次は、自分以外のふたりに銀杏が出され、自分には海老が出されると信じて何も言わずに銀杏を口に入れた。
ところが、次は、3人とも銀杏であった。
その後、何品か出て食事は終わった。
「海老、海老、銀杏。次は銀杏、銀杏、海老だろ?それが、銀杏、銀杏、銀杏ときた。
可笑しいじゃないか!」
彼は自分の身の上に起きた小さな不運を“海老、海老、銀杏 事件”と呼んで、翌日、会社の社員の前で面白おかしく語ったのである。
大人の男性がそんなことを気にしているのが可笑しくて、お腹を抱えて笑った。
私だったら、カウンターの向こう側にいるシェフに言うのに。
「私だけ、えびを頂いていないんですが!」と。
こういう、小さな不運はたまに起こる。
年に数回、グランドセントラル駅で“日本の食祭り”のようなイベントがある。
ちょうど昼時、どのブースにも長い列が出来る。いつも、大盛況である。私は美味しさで名の通った
日本食レストランのお弁当を目当てに長い列に並んでいた。前にも後ろにもアメリカ人らしき人が並んでいる。私のすぐ後ろに並んでいた若い二人の女性は、流暢な日本語で自分たちがいかに日本に興味があるか、日本へ行きたい!と話してくれた。
自分の順番があと7〜8人目になってきた時、カウンターに乗っている残りのお弁当の数を数え始める。余裕で自分たちの分以上にある。前後の人たちと、「大丈夫そうね。良かった〜!」と喜んでいたのだが、あと3人というところで売り切れてしまった。一人の人がまとめ買いをしたのである。後ろに並んで待っていた私達は唖然となった。絶対に大丈夫だと思っていたのだから、がっかりである。恨めしいため息があちらこちらから聞こえてくる。怒りのぶつけどころは、買い占めをしたその人だけれども、一人が買える個数を限定されていなかったので責めるのは筋違い。後ろの日本通の若い子たちは「信じられない!信じられない!」と嘆きながら、他のブースへ去って行った。
お弁当ひとつのことであるが、がっかり度はそれなりに大きい。
翌日、私はオフィスでそのことを面白おかしく語りながら楽しい一時を過ごしたのである。