友人とお茶を飲みに行った。
席につくなり、その日はご馳走してくれると宣言する友人。
「えっ、どうして?」
友人は私と待ち合わせをしていたカフェへ来る前に、古本屋さんへ行き、数冊の本と数本のDVDを
買い取ってもらった。考えていたよりもずっと高値で売れたらしい。電車の中で伝票を確認したが、
もしかしたら店員さんが勘違いしたのではないかと思い始めた。店へ戻るにも時間がないし、帰り道に立ち寄ることが出来る場所でもない。でもこのままでは気分が良くない。
「ここでご馳走でもしないと、あとでバチがあたりそう」とのこと。
NYに住んでいた頃、週に3回ほど近所のスーパーマーケットで買い物をするのが日常だった。
驚くほど、レジの打ち間違いが多かった。自宅へ戻ってからでは面倒なので、支払いをした後、
スーパーの建物内でレシートの確認をする。多い時は3回のうち2回も間違っていることがある。
同じ物をいくつか買うと多く請求されることも少なくない。その度にカスタマーサービスで返金の列に並ばなくてはならないのである。
しかし、ある時から、多少の間違いは気にしないことにした。
実は少なくチャージされることもあったのだ。計算まではしていないが、プラス・マイナスほぼゼロになるのではないだろうか。それに気づいた時から間違い探しはやめた。大きな間違いは勘でわかる。
図書館で習い事をしていたことがある。その日は、ひとりの同級生の“最後の授業”だった。
転勤が決まり、他国へ引っ越しをすることになったのだ。授業が始まる前、近くのお店をぶらぶらしていたら、ふと彼女の顔が浮かび、何か贈りたいと思った。一緒にお茶をしたこともないし、たぶん、
2度と会うことのない人だが、何かNYの記念、荷物にならないようなもの。ちょうど良いブックマークがあった。NYのシンボルのひとつであるイエローキャブのカタチをしている。誰かのお土産になっても良いし。彼女は喜んで受け取ってくれた。
その日の夜、美術館で友達と待ち合わせをしていた。金曜日の夜ということもあり、館内には大勢の人がいた。チケットブースはたくさんあるが、一つのブースに引き込まれるように足が向いた。
そのチケットブースで受付をしていたのは、少し前に通っていたあるクラスの同級生であった。
お互いにその偶然に驚いたが、彼女は“Be my guest!”とフリーのチケットを発券してくれた。
美術館の入場料と、昼に同級生に贈った小さなギフトの値段はほぼ同じ。
あとで考えると、偶然にしても面白いなあ、と思うのである。