主人公がギャンブルで家を失うところから始まる。

資産家の家に生まれ裕福な暮らしをしていた主人公が極貧生活に陥る。

それでも主人公は卑屈にならない。自分で招いた不運を受け入れて生きる。

 

主人公と妻、ふたりの子供の生活は貧しいながらも笑いがあり、皆が懸命に生きている。

この家族に何度も不幸が訪れる。その度に悲しみ、泣き、その悲しみを胸に抱いて生きていく。

 

人生、何が幸せか不幸かわからないと思う場面がある。

主人公の家をギャンブルで手に入れた男性が地主という理由で人民裁判にかけられて処刑される。

それを知った主人公は「あの時、家を取られていなかったら、自分が処刑されていた」と思うと

運命の恐ろしさに身が縮む思いをする。

 

人間万事塞翁が馬、何が幸福で何が不幸かは直ぐに決まるものではない、

安易に喜んだり悲しんだりするべきではない、ということだろうか。

 

“運が悪い”と思ったことがのちの状況を良くしてくれたことがある。

“悲観的なこと”のあとに考えもしなかった巡り合わせがあったこともある。

そんなことを思い出すシーンである。

 

やがて夫も妻も老い、身体も若い頃のように動かなくなる。

生まれ育った家は裕福でありながら、終の棲家は貧しい。

しかし、そこには夫婦のあたたかい微笑みがあり、幸せな空気が漂っている。

 

この映画は、世界各国で高く評価されたが、中国国内では政治的理由で上映禁止になっている。

また、監督も2年間、映画制作を禁じられたとのこと。

 

この映画をTV放映で観た時、タイトルを見過ごしてしまった。最後まで観て「これが生きるということなんだろうなあ」と思いタイトルを調べると「To Live 活きる」と書かれていた。監督の表現したい

ことが視聴者にそのまま伝わった映画だと思う。

 

運命を受け入れて懸命に生きる姿、不幸を受けとめる姿、人を許すということ、幸せとは、など

人生に必要なことがこの映画に描かれている。

 

最後まで観たあとに「生きよう」と思う映画である。