93才になられる母上の渡航チケットを購入したと、友人から知らせが来た。

友人は日本へ母上を迎えに来てNYへお連れし、帰りも日本まで送り届ける。

渡航期間は10日、ハードスケジュールである。仕事上、やむを得ないらしい。

 

「大変なスケジュールね」私の言葉に、

「大変よ。でも、母の夢を叶えたいの」

 

親の夢を子供が叶える、なんと素晴らしい。

 

チケットを購入した時点で夢の半分は叶えられているかも知れない。

母上様は数カ月後のその日を目標に体調を整え、期待に胸を膨らませているだろう。

 

娘がNYでどのように暮らしているか、それをみたいというのが今回の目的とのこと。

 

20年ほど前に一度NYを訪れている。その時は観劇、ナイアガラの滝、ワシントンDCの国立美術館、レストランめぐり、観光三昧であった。

 

今回は観光をせず、娘がNY郊外に建てた家で、普通に生活をする娘の様子を見たいという気持ち、

安心したいという気持ち、親心を感じて胸が熱くなる。

 

この友人も自分でやりたいと思ったことは躊躇しない行動派である。

その性格は母上様から譲り受けたものだと思う。

 

友人にエールを送る。

 

私の父はずいぶん前に他界しているが、病気で入院していた時、眠りから覚めた父は天井を見上げた

まま「NYへ行って来た」と言ったらしい。まわりの人は笑っていたようであるが、その数年後、

母も同じことを言ったのだそうだ。

 

「NYへ行ってきた」と、病院のベッドの上で。

 

親が最後に心配するのは離れて暮らしている子供のことになるのだろうか。

少なくとも、私の両親はそのようであった。

 

思い返せば、なんでもない生活の中で急に父を思ったり、母を思ったり、そういう時には本当に

私のそばにいたのかも知れない。

 

いまさら遅いが、その時の私は両親が安心するような生活態度であっただろうか。

う〜ん、微妙である。

 

母が最後に妹と私に遺した言葉は、

 

「お母さんの願いは、あなたたちが笑って暮らせていること。それだけ」

 

それが簡単ではないことを母は知っていたからこその言葉である。

 

はい、努力します!