2週間ほど前に、友人との間に諍いが起きた。

自分でいうのも何だが、滅多に怒らない私がはっきりと物申した。

やたらと滑舌良く、まるで演説のようであったと思う。

電話を切った後、胃に激痛、悪寒、吐き気、えびのように丸まって

傷みに耐えている間に眠ったらしい。

 

1時間ほどして目覚めた時には、嘘のようにすっきりとしていた。

胃の傷みも、悪寒も吐き気もまったく残っていない。

 

翌日、相手に手紙を書いた。

実に簡単な業務内容を記すような手紙だ。

わざと事務用の封筒と便箋を使用した。

 

1週間が過ぎても相手からは何の音沙汰もない。

このまま放おっておこうと思った。

 

それから数日が過ぎた頃、速達で大きめの茶封筒が届いた。

いったい何を送ってきたのだろうと思いながら開けると、その中に気持ちがほんのり優しくなるような絵が描かれた封筒が1通。その封筒の中に入っていた同じ絵柄の便箋を広げると、目を見張るような

達筆な文字が書かれていた。たった2行。

 

何の言い訳もない短い文章が、わだかまりのあった心をほぐしてくれた。

 

大人げない自分を恥じた。

達筆であるということは得だなあと思った瞬間でもある。

 

私の母は、私がどこに住んでいても手紙を書いて送ってくれた。

東京で4回、NYで5回ほど引っ越しをしているが、その住所を正確には覚えてはいない。

しかし、母の手紙を辿ればそれを知ることが出来るのである。

 

母はいつもごく普通の白い封筒と便箋を使っていた。

内容は最近何をしたとか、親戚の誰がどうしたとか、それらを実に簡単に記していた。

いつもほとんど同じ内容である。何かを書きたかったわけでもないだろう。

私を心配する気持ちだけが伝わってきた。

 

私も母と同様、達筆からは程遠い文字を書く。長文になればなるほど手書きは難しくなる。

ほとんどの場合、2〜3行の手書きのメッセージを添えたカードを送ることが多い。

余分なところを削ぎ落として短い文章にするのは、思いのほか時間がかかるが

私は好きである。

 

普段使わないバッグの中に大切に保管しているクリスマスカードが一通ある。

30年も前に頂いたものであり、送って下さった方は既に亡くなられている。

私を励ます短い文章が生き生きとした大きな文字で書かれている。

困難な時、まだ頑張れる自分がそこにいるように思えるのである。