数日前、10年以上も連絡をとっていなかった友人Jからメールが入った。

今はもうほとんど使用していない古いアカウントである。

 

ずっと昔に親しくしていたDが亡くなったという知らせ。

連絡をくれたJはDの幼馴染であり親友である。

 

亡くなったDとJはまだ20代前半だった頃に初めて日本を訪れ、

その時に私は彼等と知り合った。その1年後にふたりは母国であるアメリカへ帰国、

数年後にJだけが日本へ戻りそれ以来ずっと東京に住んでいる。

 

Dとの思い出はセピア色よりも更に薄いくらいのぼんやりしたものであるが、

亡くなったという知らせの文面を見た時、死というたった一つの言葉の重みで、

一瞬、時が止まった。

 

無理やり思い出を引っ張り出すつもりはない。でもDの死を知ってからは自然といくつかのことが

脳裏に浮かんでくる。そして、その頃のことを振り返る。

これが、私にできる弔いかと思う。

 

Jとは断続的に親交が続いていたが、10数年前から連絡が途絶えていた。

 

2年前に私が日本へ戻ってから気になっていたが、Jのビジネス用ホーム

ページは既に閉じられ、私が持っていた電話番号は不通となっていた。

既に母国へ帰国したのだろうと思っていたのである。

 

そんな時のJからの連絡であった。

 

何度途切れてもまたこのようなカタチで繋がる。

 

人の縁とは不思議である。

 

Jと私はラインで繋がり、Jからは成人したふたりの子供の写真がたくさん送られてくる。

その子供たちとは彼等がまだ2歳と乳児の時に会っている。

 

月日の重みを感じる。