まだ途中経過の感じがあって
書くことを躊躇う。
今、感じていることに確信があるわけではないことも
書くことを躊躇う。
ただ
自分の私的な体験を書き残して
共感してくださる方に伝わったら嬉しく思う。
特に日本の女性は
無力感が強いのではないかと思う。
自分は弱いと思い
信じこんでいる。
7月中旬
もう本当に嫌だって感じることがあった。
それは大好きな人に再会したのに
その人の前にいた時に
身体がスッと引いてしまう反応が起きたこと。
その人のことが大好きなのに
怖いんだ。
この反応に気づいたのは1年前。
それは即興のお芝居で
同窓会の場面を女性2人で演じていた。
その人の存在感に負けて
言いたいことを腹から言えていない感覚。
その場に身体はいるのに
身体が引いている感覚。
要は
弱い。
情けなかった。
でも1年経った今でも
変わってないのか。
そう分かった時、絶望を感じたけど
変わりたいって強く思った。
本当に7月8月は辛くて。
死にたいとすら思った。
この時
「死んでもいいよ」って自分に言えたことが嬉しかった。
嬉しくて涙がでた。
本当にホッとした。
今まで
死ぬことは逃げだ
逃げちゃダメだと
自分に言っていたらしい。
辛すぎて
辛いから諦めたくて
自分の本当の気持ちを自分が切り捨てていたんだと思う。
逃げてもいいよ
弱くてもいいよ
どんな自分でもいいよ
それでもあなたを愛しているよ
そう自然と思えたことが
本当に嬉しかった。
前回のワークショップで気づいたことは
私は相当に拗ねている、ということだった。
お父さん、お母さんって
繰り返し呼んでみるワークがあったのだけど
形式的にやってるなって感じてた。
呼んでも無駄
呼んでもどうせ分かってもらえない
呼んでもどうせ欲しいものはもらえない
この拗ねは
相当凝り固まっているんだなと思った。
おそらく。
私が感じなかったり
本音を言わなかったりするのは
この拗ねが大きく関わっている気がしている。
「本当は寂しいんじゃない?」
「いや寂しいですよ、
でも分かってもらえないのだから仕方ない」
仕方ない
仕方ない
仕方ないって
ずっと自分を説き伏せてきたんだろうな。
でも今回温かくて自分に誠実な人に囲まれて。
人の中で力を抜いて
存在できた。
気を張りすぎず
自然体で
人の良さを見てマウントをとることもなく
客観的でいられた。
できる範囲でできることを精一杯に尽くす。
それは
自分の愛でもあるし才能でもあると思う。
そうしたら
やっと自分が拗ねていたことに気がついて。
仕方ないって言い聞かせてしまっていたけれど
本当の本当は分かって欲しかったよね
悲しかったよね
って素直に認められた。
そうしたら
今まで無視してきた自分の感情が出てきたんだろうと思う。
怒りが出てきた。
おみくじに対してw
おみくじが言う
「家にいなさい」は
真実の声だと思った。
だから添おうと決めたけど
腹が立った。
なんだよ!
こっちは辛いんだよ!
もう辛くて仕方がないんだよ!
外に出たいんだよ!
ふざけんな
分かれよ!
ここまで腹が立っている自分は
久しぶりだった。
帰宅後
夫からのメッセージが攻撃的だった。
腹が立った
なんでここまで言われなくちゃいけないの?
本当に本当に腹が立った。
夜、電話がかかってきて
「うるさい!」と言って電話を切った。
後悔はなかった。
怒ったことでどうなってもいいやってそう思えた。
心も身体もためていないから軽く感じた。
結論から言うと
夫との関係はよくなった。
嫌われそう
そう思って隠した自分。
でもそれは
自分の中で消えない。
大事な場面や人との間で
暴れ出す。
その自分は人によって違う。
今回の私は
激しい自分。