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毎年この時期になると、
海のほうで花火大会があった。
前の家は、
その花火がよく見えた。
エアコンが効いた涼しい部屋で、
テレビを観ながら、
花火が上がるのを今か今かと待っていて、
上がり始めると、
電気を消して、
窓を少し開けて、
悠々と椅子に座って
眺めていた。
コロナ禍で中止になり、
再開されたときには、
豪華になったけど、
有料観覧席ができたり、
日程も変わってしまって、
7月の、
夏のはじまりの風物詩では
なくなってしまった。
私は、どちらかというと、
「変化」が苦手。
私の人生で初めて
大きな変化を感じたのは、
中学生の頃だった。
制服になったり、
教科ごとに先生が変わったり。
…ということは、
予測ができていたから、
どちらかと言うと、
楽しみだった。
それよりも、
中学2年生の時、
仲良し4人組の一人が、
大阪に引っ越すことになったのだ。
姫路から大阪へ。
今なら、
会えない距離ではないけど、
中学生の私には、
とんでもなく遠い場所に思えて、
しばらく呆然として、
受け入れるのが
すごく難しかったことを覚えている。
…といいながら、
その1年半後には、
県内だけど市外の高校で、
寮生活をすることになるんだけどね。
私、順応性はあるみたい。
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あの頃から変わらず、
今も、「変わってしまうこと」は、
ワクワクより、
「怖いな」
が先に来る。
でも、
いつもいつも
「変わるぞ!」
と思って変わるわけでもない。
気が付けば、
少しずつ景色は変わっていて、
いつの間にか、
自分もその景色になじんでいる、
なんてこともある。
変わったことにも気づいてなかったりして。
だから、
変わることは、
怖いことばかりじゃない。
苦手だからといって、
立ち止まったままでもなかった。
これからも、
「怖い、心配、不安」
と言いつつ、
少しずつ、
新しい景色になじんでいくんだろうなぁ。
そして、
その先の景色を見てみたいな
って思う自分もいる・・・かも?!
それでは、また来週。
月曜朝10時に。。。
今日は、海の日。
「海」と聞くと、
私が一番に思い出すのは、
語学留学で行った
イギリス・ブライトンの海。
砂浜ではなく、小石の海岸。
私は山育ちで、
近くに海がある環境で
育ったわけではないけど、
それでも、瀬戸内の街に住む私が
よく見る海は、
静かで穏やかなもの。
それに比べて、ブライトンの海は、
イギリスのコロコロ変わる天気のように、
毎日、波も変われば、
その色も変わる。
カモメがたくさんいたのも
印象的だった。
サッカーチームの愛称にも
「シーガルズ(カモメ)」が使われていて、
留学生だった私は、
「ブライトン・シーガルズ」
が正式なチーム名なんだと
思い込んでいたくらい。
グレーのふわふわの毛の
赤ちゃんカモメが見られるのも、
可愛くて、癒された。
こんなブライトンの海には、
私は本当によく慰めてもらった。
まだ渡英してすぐは、
初めてのヨーロッパ、
初めてのイギリスの景色が、
シャーロック・ホームズを読んで
空想していた景色が、
目の前に広がっていることに、
ドキドキ、ワクワクしながらも、
学校の授業に、
苦手な英語の勉強に、
ホームステイ生活に、
慣れていくのに、
精一杯の日々。
そんな毎日も、
少しずつ「私の日常」になっていった頃。
でも、まだ友人と呼べるほど
親しい人もいなくて…
私は、
少しホームシック気味になっていた。
週末の天気のいい日に、
ひとりで海まで歩いていき、
ぼんやりと
小石の海岸に座っていると、
どんどんと
自分がちっぽけな存在に思えてきて…
そうすると、
そんなちっぽけな私の悩みなんて、
どうでもいいように思えてきて…
そしたら、
心がスッと楽になって、
「また明日からがんばるかぁ」
みたいな気持ちになってたなぁ
というのを思い出す。
海まで歩いていける距離だったのも、
ラッキーだったなぁって思う。
あの頃の私は、
ひとりで海に行く時間にも、
そのあと仲良くなったクラスメイトや、
日本人の友人、
日本から来てくれた友達とか、
みんなで一緒に海で過ごす時間にも、
心を救われてたなぁと思う。
私にとって「海」は、
心を整える場所だったのかもしれない。
それでは、また来週。
月曜朝10時に。。。





