疎ましいのは、朝。 | シテキイシキロク  

私のからだは色々な問題を抱えているが、

その中で最も根本的なものが

「夜 眠れない」ということだと思う。

なかなか辛い作業だが、幾度となくこれについて考えたり思ったりした。

自分自身の生活に関わることだから目を背け続けるわけにも行かない。

今のところ分かっていること。

肉体的に本当に疲れていれば眠れるし、

一度眠ると15時間でも寝ていられるので「不眠症」ではない。

朝、とか 夜、とか時間帯の問題でもない。

寝なくてはいけない、寝るべき時間帯、という強迫観念に

負けてしまってリラックスすることが出来ない、結果入眠しそこなう。

そんなとこだと思う。

すごく昔、通っていた幼稚園には、お昼寝の時間があった。

私はクラスでただ一人、いつも一睡もできなかった。

お昼寝の時間は「まんがにっぽんむかしばなし」が流れるのだが、

毎日私は「むかしー」から「めでたしめでたし」までの全てを聞いていた。

最後の方には暗唱できるくらい、毎日ひたすら目を閉じて聞いていた。

回りの子たちはすうすう寝息をたてているのに、私は眠れなかった。

みんなが当たり前に出来ていることを私だけができなかった。

それは何となく「いけないことなのかもしれない」と感じていた。

ある日幼稚園の先生が、

「優子ちゃんはお昼寝がイヤだって言うんですよ。困ります。」

と軽い調子で、でもホントに迷惑そうに母親に告げた。

私は多分、この時かなり傷ついたんだと思う。

その後はもう幼稚園に行くことがいやになっていった。

お遊戯もお歌もお絵かきも大好きだったし、

人生で一番男の子にちやほやされたあれは確かに私の「モテ期」だったし、

お昼寝とその先生以外は全部たのしかったけど、

その二つのせいで私は登園拒否になりかけた。

朝、行きたくないと涙を浮かべる。

行っても、お昼寝の前になると「帰りたい」といって泣く。

もうどうしようもなかった。

それがトラウマとなったのか、次第に家でも寝付けなくなった。

みんなが寝静まった0時、1時。

時計のチクタクいう音に耳を欹ててしまう。

何度も時刻をチェックしてはいらいらする。

『地球の裏側は今昼間だから。

コンビニは24時間だから、今働いている人も居るんだから。

今起きているのは私だけじゃないんだから。』

馬鹿みたいだけど、真剣にそう思って何とか落ち着こうとしていた。

それでも眠れない時は、

寂しくて寂しくて苦しくて耐えられなくて、

わざと大きな声で、しくしくと泣く。

当時まだ耳が遠くなかったおばあちゃんが、しくしくを聞きつけて

私の部屋にきてくれる。そして私のベッドの横に座って、

私が眠るまでお経を唱えてくれた。

お経なんて不気味だけど、それがおばあちゃんの最高級の愛情表現だし、

一人で寂しい私にとっては心から安心できる子守唄のようなものだった。

そんな風にして幼小時代が過ぎた。

ある時から私は、

夜を怖がるんじゃなくて、夜と友達になろう。

と思い始めた。

どちらかと言えば夜の住人である、ということを

聞かれてもいないのに機会あるごとに発表し、

みんなが常識的に考える時間軸では生活していないということを

あらかじめアピールすることによって、驚かれたり嫌がられたり

呆れられたりすることを無意識に避け続けた。

もう眠れないことで他人に「困ります」なんて言われたくなかった。

自分で言った言葉は真実となり、というか自分の言葉の呪いにより

どんどん完全なる夜型になり、そのうち朝起きることが苦痛となった。

ただ、強烈な片思いをしている時は別で、

朝が来れば学校で好きな人に会える、という楽しみで

超短い睡眠時間でも元気一杯生活できていた時期もある。

ただ恋が終わるとまた、朝起きることは苦痛以外の何ものでも

なくなっていった。

朝起きてもそれから一日、何一つ楽しい嬉しい期待がなかったから。

大人になってからは、お酒に極端に弱いという自分の性質を利用して

許容範囲を少し超えるくらい飲むことで必ず得られる眠りが、

私の中で温かな光となった。一つの絶対的な安心になった。

…アル中といえばそうなのかもしれない。

親友はそんな私を心配して、お酒よりは睡眠薬のがいいと思うからと

病院へ行くよう進めてくれた。

アルコールづけになることと、薬づけになることとどっちがマシなのか

分からなかったから、結局病院には行っていない。

現在はそんなに酷くない。

ある程度の時間が来れば眠れるし、そんなに神経質に思ったりもしない。

ただ、平日の朝はいつでも、これ以上ないくらいの絶望を感じる。

起きなきゃいけない寝足りない、回復していない、

その絶望と言ったらとんでもない。

ふとんにくるまってかわいらしく、

「もうちょっと寝てたいな♪」

なんてかんじには決していかない。

起きるくらいならいっそこのまま死にたい、くらいのオーラを漂わせている。

この絶望ってみんなも味わっているのかな。

こんなライフスタイル・バイオリズムで

まともに家族を築いたりすることが私にできるのかな。

時々不安になる。

朝が美しいことはよく知っている。

夜とだけじゃなく、朝とも仲良くなれる日がそのうちくるのだろうか。

希望に満ち満ちた朝をいつか体験できるのだろうか。


2月16日、成田空港へ向かうシャトルバスで

ベイブリッヂを通過中に見た日の出。


朝はいつも、こんなにもドラマチックで美しい。