せっかくのタイミングなので久しぶりだけど、言葉をここに記録として残しておこうと思う。
昔の記事を消していない意味や、この場所を消さないで残している意味はそこにあるから。


久しぶりに自分の鼓動の音を鮮明に聴いた。
自分の心の臓が別の生き物かのようにドックンドックンと響いてたなぁ。
当然のことながら、人並みに緊張はするわけで、どのくらいかといえば、程よい緊張感で臨めたと思う。
歌手生命は始まったばかりで未熟なものの、
詩吟のお陰で、 “アカペラで歌う”という事に関しての場数だけは、人一倍だと思えたのが本当によかった。
コンクールで唾を飲んで声が途切れてしまい悔しい想いをしたこと、
女性でも訪れる変声期のようなもののタイミングでうまく声が出せなくなって歌えなくなってしまった時のこと、
緊張し過ぎて思ったように息が伸びず優勝確実と言われた大会を落としてしまったこと。
歌詞を忘れたり間違えてコンクールで失格したこと。etc....

一つ一つの経験から、どのくらいの緊張感で、どんな身体と喉の状態だとどのくらい歌えるのかという自分の情報だけは十分でした。
これがまた、緊張しすぎても、しなさすぎてもうまく歌えないんです。
第一声を出したその瞬間に全ての緊張が解けていくのが分かった。
あとは、その空間を思う存分に楽しんだ。
あぁ幸せだなぁと噛み締めながら言葉を丁寧に歌い上げた。
スタジアムに響く自分の声は、贅沢なもので幸せで包まれました。
業界は違えど、共に戦う想いを、日本そして世界へ届ける気持ち、選手への激励として届いていたらいいな…。
メンバーからは、ピアノを弾いている時と同じ顔をしていたね、集中が高まってる時の顔、と言われました。
あれが、私の集中力が最高潮に高まった時の顔なんです。戦闘モードってこと。
歌い終えるまで表情を変えてはいけないあの場所で、いつもの笑顔は無しで最後までやり通したことは、本当に歌のみでの勝負そのものでした。

今はようやく、「私は、歌手なんだ」と、そう言えるところへ辿り着けたような気持ちです。

今は、歌う、という事をする為にこの時代にこの身があると確信した感覚です。

だから、私はこの身が朽ちるまで、皺皺になっても歌い続けます。


それのみ!

万人に愛されようとは思わない、自分が伝えたいものを伝えたいように音にしていく事が、今生きてる意義だから、聴いてくれる人が例え1人になったとしても、私はその人に向けて歌い続けるだけです。

いつも本当に、ありがとうございます。

今の自分があるのは、私をみていてくれる、貴方のおかげ。