1月14日。私の父の命日。

迎える前夜ちょっと、思い出話しをさせてください。きっと、まとまらないけど。
話したいこと話そうかな。


私はお母さんの事はお母さんて呼んでるけど、お父さんの事は、実はパパって呼んでる。
小学生の時に、もう大きくなったしと思って、「お父さん!」て呼んだら、
「なんだ、急にお父さんて。パパって呼ばなきゃ返事しないよ」
って言われてから、ずーーっとパパです(笑)

パパは、帰宅するとまず必ず、私がピアノを練習している部屋に入ってきて、しばらく私のピアノを聴いてからリビングへ行くのが毎日の習慣だった。
パパが大好きで、車のエンジン音がすると弟と一緒に玄関にダッシュしてた。
高校生になっても、腕を組んで歩くほどパパっ子でした。

よくディズニーに連れて行ってくれた。
毎年東京で行われた詩吟、詩舞のコンクールのあと、帰りがけに急にハンドルをきってサプライズでディズニーに連れていってくれて、弟と大興奮したりして。思い出溢れる場所だから、今もディズニーが大好き。
夏にはキャンプもたくさんしたし、温泉もたくさん連れて行ってくれたなぁ。
スキーもよく行った!


そんなパパとの別れは、突然でした。
たったさっきまで、電話していたのに。

電話での「うん、またね」が最後の言葉。
たぶん。

知らせを受けてからの記憶があまりない。
顔が変わるくらい泣いた。
それから、大好きだったはずのディズニーに行けなくなった。
ピアノが弾けなくなった。
家庭に笑顔がなくなった。

しばらくはそんな辛い日々が続いたけれど、
そんな私たちをみたら、パパが1番悲しむだろうなと。
きっと早く亡くなってしまって驚いてるのはパパ本人なんだろうと、3人で手をとりあった。
パパは、40代で亡くなってしまったけれど、普通の人が一生かけて与えてくれる幸せを短期間で一気に与えてくれた気がするんです。
残された私たちが、今こんなに前をみて生きていけるのは、今でも、大きな愛を感じているから。いつもそばに、愛を感じていられるから。
幸せ者です。


また、パパが大好きだったピアノを弾き始めた。
忘れないように、歌を作った。
またお母さんと弟を連れてディズニーに出かけた。
温泉旅行にも行ったし、弟と雪山も行った。

そんな風に、自分を取り戻して、日々を過ごしていたら、素敵な仲間たちと出会えた。
かけがえのない、何にも変えられない大切な大切な存在。

私はたくさんの人に支えられて、今があります。
私に真ん中で歌わせてくれる7人のメンバーには、言葉では伝えきれないほどの感謝。
パパが生きていたら、なんて言うだろうって時々思うけど、もしかしたら、パパが今もいたら私は歌っていなかったかもしれない。
今の自分は過去に生かされている部分もあって、これからの未来は自分で作っていかなければ。


私のお母さんは、私に音楽を続けるように、常に背中を押してくれた。
幼い頃からずっと私の味方でいてくれた。
お母さんが、私を信じ続けてくれたおかげで、甘えん坊で努力の嫌いな私が、一つの事を貫けたんです。

パパがいなくなった時のお母さんの強さを目の当たりにした時、心から尊敬したし、一生かけて、私が楽しませてあげたいって思いました。

夏に、ディズニーのショー雅涼群舞を歌えたのは、本当に嬉しかったなぁ。ディズニーランドに響き渡る私の歌声は、特別なプレゼントになりました。
そして、和楽器バンドも華風月も大好きなお母さん。
弟も、メンバーの事が大好きで、大ファンでいてくれてます。

それにね、パパの後をついで、弟も建築家の道に進んだよ。
パパが設計してくれた実家を、古くなったら弟が、思い出を残しながら建て替えるんだって。立派だなぁ。。。弟だけど、いつも相談のってくれるし、お兄ちゃんみたいです。


私に愛すること、を教えてくれた、パパとお母さん。
愛に守られている幸せを噛み締めながら、私も愛を与えていきたいと思うのです。


これからも、私らしく、音を残していこうと決めたよ。
パパー、みていてねー(*´∀`*)

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