今朝早くに祖父が亡くなりました。
肝臓癌でした。
去年、6月頃、あと半年と医師から宣告されていましたが、つい一ヶ月前まで、入退院を繰り返していたものの、基本は自宅療養で元気に過ごしていました。
ここ数週間で一気に弱ってしまい、医師から、いつ亡くなってもおかしくない、会っておきたい方には連絡するようにと、言われていました。

合間をぬって、何度か茨城へ行っていましたが、会う度に弱っていく祖父の姿をみて、これで最後かもしれないと、都度心構えをしていました。

先週帰った時、おじいちゃんはもう顔まで腫れていて、会話は出来ず、呼吸もとても苦しそうで、痛みでもがいていました。
私が祖父の家に着いて、
「おじいちゃん、ゆうこだよー、来たよー」
と声をかけた時、
「あー、あー」としっかりと反応をみせてくれた。
おばあちゃんが、
「お父さん、よかったねぇ、ゆうこちゃんが来たよー」
と、耳元で話したら、手を伸ばし、
私が手を差し出すと、ギュッと握り返してくれたんです。

お医者さまからは、
「意識朦朧として、何も分かっていないようにみえますが、その時その時は、脳は理解していて分かっている瞬間がありますから」
と説明を受けていたそうです。

その話をおばあちゃんから聞いて、すぐに詩吟を歌おうと決めたんだよね。

おじいちゃんのベッドは、パパの写真も飾ってある仏壇のお部屋にあったから、そこにお母さん、おばあちゃんも呼んで、詩吟を歌いました。
泣きそうになるのを堪えながら、いつもより、大きな声で。

歌い終わったあと、おじいちゃんは、
目を開こうとしてた。
そして、声も出してくれた。
おじいちゃん、一生懸命、私に何か言おうとしてたんだよね。
言葉にしなくても、伝わってきた思い。
その日も、帰るのをおしみながら、また東京に向かって1人歩き出したのでした。
それが、おじいちゃんとの最後。

おじいちゃんのそばにいたかったけど、ずっとずっとそばにいると、心配しちゃうんだよね。
早く、いけと。
そう言うに決まってるんだよね。

子供の頃、校長先生だったおじいちゃんと一緒に勉強した日々の思い出。
家族麻雀をした思い出。
成田山、川崎大師へ毎年行った思い出。
除夜の鐘を毎年一緒につきにいった思い出。
限りなく、出てくる数々の思い出。

そんな思い出話をしながら、しっかりとおじいちゃんにお別れを言おうと思います。
まだ、家の中にいると思うから。
1番お別れを言って、旅立つ寂しさとたたかっているのは、おじいちゃん自身だと思うから。
最後の最後まで、辛い、痛い、苦しいなんて口にしなかった。おじいちゃんらしいなぁって思う。

やっと苦しみから解放されたんだ。
あぁ、そして、パパが1人じゃなくなったんだ、と思うと、なんだかホッとしている気持ちもあります。
今頃、久しぶりだなぁなんて話しているかもしれないよね。

まだ、おじいちゃんの顔をみていないから、こんなに文章にできたけど、明日、おじいちゃんの顔をみたら、やっぱり寂しいんだろうなぁ。

私は、甘えん坊だから。
すっっっっごく。
パパに甘えられなくなった分、おじいちゃんに甘えて。。。
でも、私の甘えられる土台みたいのがまた一つ崩れてしまった。
そう、しっかりしなくちゃね。
私も、人の親になる年齢になっているわけだから。

必ず訪れる死と、向き合ってこようと思います。

予定されているライブは、すべて出演しますので、みんな、待っていてね。