【旧ソ連構成国‐中央アジアのウズベキスタンのブハラ(カガン)の抑留日本人墓地慰霊訪問】
終戦間際に日ソ不可侵条約を破って満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島に侵攻したソ連。57万5千人以上の日本人がシベリアの他、中央アジアのカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンやソ連と密接な関係にあったモンゴルに抑留されました。
現地では過酷な強制労働
抑留生活、寒さや飢えで亡くなる人は公表されているだけで
5万8千人以上(半分以上が亡くなっているとの調査報告も)。
祖国に帰りたくても帰れず異国の地で無念にも亡くなった日本人。
ウズベキスタンではタシケントに続いてブハラの抑留日本人も慰霊訪問しました。日本人墓地はブハラ中心街から15キロ程離れた場所にあり、ブハラの隣町カガンにあります。鉄道駅から近い距離にあります。
日本人墓地の近くにかつて病院があったのですが、強制労働で病気にかかったり、衰弱した日本人が移送され、この地で多くの人々が亡くなりました。祖国に帰りたくても帰れなかった日本人。非常に無念だったでしょう。
日本人墓地の場所は少しわかりずらいですが、墓守の方がいるので場所を案内してくれます。ブハラに行く際は是非とも慰霊訪問していただきたいです。