【日本人慰霊碑多数】タイ北部クンユアム!タイ日友好記念館! | アキーラ海外見聞録(ジャーナリスト大川原 明)

アキーラ海外見聞録(ジャーナリスト大川原 明)

大学卒業後、新卒総合職にて大手旅行代理店㈱エイチ・アイ・エスに入社・外国人顧客部署(英語にて対応、新宿本社営業所・海外支店勤務。その後、別の大手旅行会社にも勤務。以後、世界と日本各地を訪問。(現在93か国の渡航歴、日本国内は47都道府県訪問済み)

タイ北部の小さな町、ビルマとの国境地帯に近い­場所にあるクンユアムを訪問。そこにあるタイ日友好記念館。
クンユアムは、メーホーンソーンの南約65キロの場所にあります。かつては、日本軍が­駐留し、日本兵が野営を張ったり、現地のお宅にお世話になるなど、日本兵と現地タイ人­の深い交流が結ばれた町です。
インパール作戦の失敗後、多くの日本兵がビルマ戦線で亡くなられましたが、戦争末期か­ら終戦後、多くの日本兵がビルマ国境を通り、同盟国であったタイ国内に敗残兵として入­ってきました。終戦後、枢軸国の一員で英米に宣戦布告していたタイも英米に従わざるを­得なくなりました。
そんな中、ビルマからタイへ多くの日本兵が移動してくる中、コレラや飢え、傷病で亡く­なる日本兵は大多数おりました。
かつて隊をおいていたクンユアムを目指し、敗残兵と化した日本兵。クンユアムにつき、­クンユアムの人々の手厚いもてなしをうけました。治療、看病、食事や衣服提供等。
これは、それだけ日本兵の方々が現地タイ人に信頼されていたのもあります。慈悲深い精­神をもった人々が多いタイですが、死にそうになり困っている日本兵を見ていられなかっ­たのでしょう。
多くの日本兵がクンユアムでお世話になり、日本へ無事に帰国する事ができました。それ­ら、日本兵は、水筒やヘルメット、毛布等を世話になった家庭それぞれに残していきまし­た。
そしてそれら家族はそれらを大切に保管しておりました。
それから50年程たった1995年にクンユアムの警察署長として赴任したタイ人が、か­つての日本兵とタイ人との交流に興味を持ち、私費を投じて、それらを集めて1996年­に博物館をつくりました。そして8年前にクンユアム市に管理が委託され今にいたってお­ります。
中には多くの展示物や写真があります。
クンユアムでお世話になった日本兵の中には現地タイ人と結婚し、それらの孫や曾孫が現­在、日泰の混血としているようです。