平成26年(2014年)3回目のオーストリアの首都のウイーンのシェーンブルーン宮殿。
2006年1月と2012年6月にオーストリアの首都のウイーンにあるシェ―ンブルーン宮殿を訪問した。ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。
現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。
シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で約5kmの位置にある。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されている。
建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、ここからは周囲が一望できる(写真はこの丘からの眺望)。オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人。更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には670万人が訪れる。
シェーンブルン宮殿には日本庭園がある。これは1913年にフランツ・フェルディナント大公が日本訪問から帰国後造営させたもので、オーストリアの庭師に見よう見まねで作らせたものである。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後は荒廃し、誰ともなしに「アルプス庭園」と呼ばれるようになったが、1996年にここを訪れた日本人が日本庭園ではないかと指摘した。その後調査が進められた結果、手水鉢と思われる石など見つかり、日本庭園ということが断定された。これを受け1998年、日本から庭師を招いて枯山水の日本庭園として修理復元がなされた