ここのところ取り上げてきた小室直樹先生(京大理学部数学科卒、阪大大学院経済学科・東大大学院法学政治学研究科修了、東大法学博士)が、かつて渡部昇一先生(上智大学院西洋文化研究科修了、独・ミュンスター大学哲学博士)と一緒に「国民のための昭和正史」について、共著で出版された本があります。それは『封印の昭和史**』―[戦後五〇年]自虐の終焉―と題された書です。(1995年徳間書店刊)

   今回はこの本を検分しつつ、必ずしもそのままの受け売りではなく、こうした戦後の総括について、あらためて考えてみたいと存じます。

 先ずは同書**の目次から、章立てを拾ってみます。(*裕鴻註記・補足)

   第一章 汚染された昭和史

   第二章 東京裁判史観を払拭せよ

   第三章 戦争への見えざる手

   第四章 戦前・戦中・戦後―何が正しく、何が間違っていたか

   第五章 新たなる出発のために

 このような構成になっています。来年夏には戦後80周年を迎えますが、戦後の日本人は、先の大戦の敗戦に連なる戦前日本(特に昭和前期)の歴史について、ずっと喉にトゲが刺さったままのような状態を過ごして来ました。その中には、何本か大きなトゲがあるのですが、同書**では、終戦直後の日本に占領のため進駐してきた、米軍をはじめとする連合国軍による極東国際軍事裁判(東京裁判)の審理とその判決がもたらした「戦前日本の全否定」、そしてその重要な要素・要因としての「南京大虐殺(30万人虐殺説)」に対し、どのようにわたくしたち戦後日本人が向き合うのか、という問題を正面から取り上げているのです。

 つい最近でも新聞等では、折りに触れて、例えば名古屋市長の河村たかし氏(*一橋大卒)が「30万人に及ぶ市民を大虐殺したという南京事件はなかった」と名古屋市議会で説明した、というような記事が掲載されています。それだけ耳目を集め、また中国とのいわゆる「歴史認識問題」にも直結している、この「南京大虐殺(30万人虐殺)」説には、様々な見解や観点と異論があるのです。

   そもそも、この事件発生の時点での南京市の市民人口は、30万人もいなかった(*20~25万人、別説では12~13万人程度)ことや、同事件の三ヶ月後の人口でも24~25万人という「スマイス調査」もあるので、事件後の流入人口があったにせよ、算術レベルでも論理的には「30万人虐殺」というのはあり得ないという立論があるのです。こうした論争に入り込むことは、本稿では避けたいと存じますが、中国の宣伝戦(歴史戦)にきちんと対峙し、史実については、過分でも過小でもなく「あるがままの事実(As it was)」を究明する真摯な姿勢が、殊更必要であることを認識共有しておきたいと存じます。

 この南京事件に関しては、本ブログでは以下の記事にて取り上げておりますので、ぜひご参照・ご一読ください。

「なぜ日本はアメリカと戦争したのか(22) 旧陸軍軍人が示した良識について」

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12387484460.html

「なぜ日本はアメリカと戦争したのか(23) 長勇将軍と「南京事件」について」

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12388120264.html

「なぜ日本はアメリカと戦争したのか(24) 日本の「無謬性の文化」の過ち」

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12388276867.html

 

 ところで、前掲書**で小室直樹先生と渡部昇一先生が主張されているのは、あくまで戦時国際法の法規に照らしての、専門的な検討や判断をくださねばならない問題が多々あるということです。戦争というもの自体が「悪」であるとしても、悲しいかな現代に至るまで、戦争や軍事力を用いた紛争が絶えない人類社会において、少なくとも近代以降は、ある一定の「ルール」に基づいて戦争のやり方を規制しようとする努力が、西洋諸国の主導で行われてきました。それが「戦時国際法」です。

 そもそもは軍隊と軍隊にせよ殺し合いをするのが戦争ですから、戦争そのものを全否定し、戦争を廃絶しようとすることは、人類の理想として追求すべきものです。しかし、本稿記述の時点(2024年10月)においても、ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻作戦に終結の兆しは見えず、またパレスチナ側ハマスによるイスラエル側への侵入・破壊・殺戮と人質奪取に端を発した、イスラエル軍によるガザ地区に対する軍事作戦は、その後エスカレートし、パレスチナ側の戦闘員と民間人を含む死亡者数は四万人を超えたとされ、加えて今や、レバノンのヒズボラの拠点攻撃、イエメン北西部を支配するフーシ派(紅海での日本郵船を含む民間商船への攻撃や拿捕を続けている)の軍事拠点攻撃、そしてついには、これらのイスラム系軍事勢力を支援するイランによる、イスラエルへの直接攻撃(ミサイル180発以上)へと、連鎖的に軍事紛争は拡大するばかりです。

 日本周辺でも台湾(中華民国)に対する武力侵攻による併合を示唆している中国(中華人民共和国)や、国連決議に反する核兵器開発や核弾頭搭載可能な弾道ミサイルの発射実験を繰り返している北朝鮮、中国軍と合同して日本周辺の軍事偵察活動を行なっているロシア軍などの活動は、軍事的緊張を高めるばかりです。

 こうした軍事紛争や戦争において、せめてある一定の人道的な「戦争のルール」が国際的に遵守されるように希求することは、決して戦争を賛美・肯定するということではなく、現実的・実際的・実務的に、戦争の非人道性や無差別殺戮を少しでも抑止しようとする意味で、平和的ベクトルを内包・志向する、人類社会としての地道な努力でもあるのです。

   この意味での「戦時国際法」に照らしての「合法」か「非合法」かの区別は、しっかりと押さえておかねばならない要件です。前掲書**第一章から、これに関連する数項目を部分抜粋して読んでみましょう。(*裕鴻註記・一部漢数字表記等修正、尚原文の傍点部分は以下では下線表示とした。)

・・・(*戦時国際法上) 殺してもいい場合と悪い場合とがある――小室(*直樹)

 存在もしない人数(*30万人)を、どうして殺すことができるのかということですね。当時の南京の人口は、多く見積もれば*20万、少なく見積もれば*12~13万人です。それを中国のレポーターは*40万人、NHKは*37万人殺したと言っている。しかも、南京というと巨大都市であるかのような印象もあるようですが、世田谷区や鎌倉市よりも狭い。そんなところで、何万なんていう大虐殺ができるわけがありません。「南京大虐殺」は、そのように人口や土地の広さなどの基本的な条件をまったく無視したべらぼうな議論です。

 それからこれも渡部(*昇一)先生がしばしば言われていることですが、そんな大虐殺をやったなんていう批判は、南京爆撃を批判した国際連盟(*当時の国連)からも出されていない。また、あの時向こう(*南京)では国際委員会ができて、日本がああいう悪いことをした、こういう悪いことをしたと61通も手紙を書いて各大使館に送っているのです。それには、日本がやった悪いことは全部で622あると書いてあるんですけれど、これをよく読むと大変面白い。もっとも反日的な委員会が、必死になって調べた結果でも、日本(*陸軍)が行った殺人は49件にすぎないということです。日本(*陸軍)はいろんな悪いことをやったとして、「殺人49件」と書いてあるわけです。それがいつのまにか、30万人とか40万人というように何千倍から一万倍にまで膨らんでしまうわけですから、これはまったく白髪三千丈の世界です。

 さらに根本的なことを言っておきますと、一つは、(*正規軍人の)捕虜というのはたいへんな特権だということです。これはもっとも大切なことであるにもかかわらず、「南京大虐殺」を論ずるとき、日本の国際法の学者も指摘していません。捕虜であるかないかということは、最終的には攻撃をするほうが決定する。だから、捕虜でないと決定すれば即座に殺してもいいのです

 それに、投降しさえすれば捕虜になるのかというと、けっしてそうではありません。降参したと見せかけて、ピストルを出してドンとやるかもしれない。そんなことがどこでも起きているわけですから、敵軍の軍司令官が正式に降伏し、「はい、受け入れました」と(*敵味方の)両者で約束ができれば明らかに敵軍は捕虜となることができるわけですが、ついさっきまで戦鬪していて目の前で手を上げたから「もう、捕虜なんだ」というようなことは断言できないわけです。

 また、境界領域ということも重要です。境界領域とは、どちらか分からない場合には主権国家に有利に解釈されるという原則を定めたものです。さらに言っておかなければならないのは、軍隊は国際法に明確に違反しない限り何をしても合法となるということです。なぜこんなことを言うのかと言いますと、殺したと一口に言っても(*戦時国際法上は、)次のように分けて考えなければならないのです。

 ① 純然と(*国際法上の)戦争で殺した場合は合法です。

 ② (*国際法上の)戦闘員の資格を有しないで違法に戦鬪する者を殺すのは合法です。

 ③ (*国際法上の)捕虜を殺せば、非合法です。

 ④ 捕虜であるかどうか分からない者を殺した時には、国際法上主権国家に有利なように解釈されます(これは、刑法とは正反対です)。

 つまり、明らかに捕虜でない者を殺すのは自由、捕虜であるかどうか分からない者を殺すのも自由、明らかに捕虜だということが明白な場合に、これを殺すことは違法であるということです。南京が陥落したときには、さきに該当する「明らかに捕虜である」者など、一人もいなかったのではないでしょうか。

 (*中国側の)軍司令官が逃亡したので、南京陥落時には(*戦時国際法上の)正式な捕虜は一人もいなかった――渡部(*昇一)

 「明らかに捕虜である」者など、一人もいませんでした。なぜならば、蔣介石が後を任せた軍司令官(*唐生智上将)が、南京が陥落する前に逃げてしまったからです。小室さんもご指摘になったように「軍司令官が正式に降伏し、両者で約束ができれば敵軍は捕虜となることができる」ということですから、南京陥落に際しては「明らかに捕虜である」者など、理論的には一人もいなかったわけです。その点については蔣介石政府も悪いと思っているのか、日本を非難したことはありません。毛沢東政権も非難したことはありません。唯一の例外が東京裁判でした。(*中略)

 それに忘れてはならないことは、(*軍服ではない)平服を着て民間人のなかに潜り込み、スキがあればズドンとやるというのは、蔣介石の正規の戦略であった点です。そのような戦略を取れば、民間人が非常な危険にさらされることになります。誰が便衣兵(*民間人偽装兵)であるのか分からないので、その可能性のある者、挙動不審の者は、殺されても仕方がない。蔣介石がそのような戦略を取ったので、日本兵がどんなに嫌な思いをしたことか。普通の女の子だと安心していたところが、後ろから撃たれる可能性もあったわけです。便衣隊(*民間人偽装兵部隊)がいると分かれば、村ごと焼き払わなければならない。それはアメリカも後にベトナム戦争を戦うことにより、はじめて分かったことです。(*その後のソ連軍アフガン侵攻でも、また今回のイスラエル軍ガザ地区侵攻でも、同様の問題が恐らく存在する。)

 (*戦時国際法上の)合法的措置としては、皆殺しされるしかなかったシナ(*China)軍――小室(*直樹)

 シナ(*China)軍の軍司令官である唐生智こそ、最大の戦犯ですね。というのも、昭和12年(*1937)の12月には、もう中国軍が南京を保持できずに負けることが明らかな状態でした。だから中国軍には、逃げるか、降参するか、玉砕するかの三つの選択肢しかなかった。そこで日本(*軍)は12月9日に「抵抗する者には峻烈だが、民衆や敵意のない軍隊は冒さない……」と、降伏勧告をしたのです。その時に中国(*軍)が降伏していれば、何も起きなかった。

 ところが唐生智(*中国軍最高司令官)が、蔣介石(*総統)に「最後まで抵抗します」と宣言し、その旨を麾下の部隊に命令し、自分だけは逃げたわけです。これほどふざけた軍司令官はいません。最高司令官が「最後まで抵抗すべし」と判断をしたということは、玉砕命令が出たということです。そのため、シナ(*China)兵も頑張って、勇敢な兵は最後の最後まで激しい抵抗を試みました。もっとも、逃げる奴は(*中国軍の)督戦隊が後ろから撃つと脅かしたり、逃げないようにトーチカ中に(*中国軍によって)足を縛りつけられた(*中国軍の)兵隊もいたようですから、強制された徹底抗戦であったという側面はあります。

 軍司令官が玉砕命令を出した場合、日本人ならばまず間違いなく軍司令官が真っ先に戦死するか玉砕するまで頑張るかのどちらかです。ところが唐生智(*中国軍最高司令官)は、玉砕命令を出した翌日に自分だけ逃げてしまったわけですから、シナ(*China)軍としては正式に降伏することもできず、南京をオープン・シティーにする(*戦時国際法上の無防備都市宣言をする)こともできなかったわけです。国民政府を率いた蔣介石が、あえて南京虐殺を世界に対して訴えなかったのはそのためでしょう。(*中略)

 唐(*生智)司令官の場合はもっとべらぼう(*便乱坊)で、玉砕命令を下しておいて自分だけ逃げたわけですから、(*のちの太平洋戦争初期に比島コレヒドールから脱出したマッカーサー総司令官が後事を託したウェインライト中将のような)代わりの司令官は存在せず、玉砕命令が最終命令になってしまったわけです。そのような事態に陥れば、シナ(*China)兵としては死ぬまで戦う以外に方法がないわけです。(*理論上の)合法的措置としては、シナ(*China)軍は皆殺しされるしかなかったわけです。

 それに、シナ(*China)兵がやたらに便衣兵(*民間人偽装兵)になったという点もたしかに大問題です。便衣兵(*民間人偽装兵)というのは(*戦時国際法上は)戦争犯罪人であり、殺されたってけっして文句は言えない存在です。その便衣兵(*民間人偽装兵)を摘発し殺さなければ、南京を占領した日本兵がスキを見せた瞬間に後ろからズドンとやられるのです。ですから、首都(*南京)が陥落したときの被害を最小限度にとどめようとするならば、シナ(*China)軍は「絶対に便衣隊(*民間人偽装兵部隊)にはなるな」と明確に命令を下すべきであったのです。

 (*戦時国際法上の)戦闘員であるということを明確にしないで戦鬪行為に出れば、それは海賊や山賊と同じであって明らかに違法です。シナ(*China)の便衣隊(*民間人偽装兵部隊)はその違法行為を戦術として採用したものです。そのため、便衣隊(*民間人偽装兵部隊)は(*違法であるため)捕虜にはなれず、殺されたって文句は言えないんです。日本軍が、その違法な便衣隊にどれほど悩まされたかは言うまでもありません。(*後略)

 (*戦時国際法上の)捕虜になるということはどういうことか――渡部(*昇一)

 捕虜になる条件を定めたハーグの陸戦協定(*戦時国際法)においても、いちばん重要なのは(*戦時国際法上の)戦闘員であるということが遠くからでも識別できるように軍服を着用し、外から見えるように武器を持っているという点です。そして、降伏するときには指揮官が降伏しなければならない。戦闘員(*兵士)が勝手に「俺は、やめた」と言っても、それは正式な降伏としての(*戦時国際法上の)効力を持たない。「俺は、やめた」と両手をあげた敵兵を許すということはあったでしょうが、それはこちら側の慈悲であって、義務ではないんです。そうして助けたとしても、その助けた相手が暴れ出すかもしれない。実際にそういうことが起こっていたのです。(*後略)

・・・(**前掲書65~72頁より部分抜粋引用)

 どうして捕虜の扱いや資格に厳重な注意が必要なのか、ということ、そして戦時国際法上は「違法」とされる「便衣隊(*民間人偽装兵部隊)」の兵士は、即刻処刑されても仕方がない、という「戦時国際法の法理上の前提」に立たないと、軍服を脱ぎ捨てて民間人の服装をした「敗残兵」の処理をどうすればよかったのか、という問題が抱える「厄介な性質」が正確に理解できないのです。

 現代の「捕虜条約(1949年のジュネーヴ第三条約)」によって、整理された内容を踏まえると、次のように前掲書**には説明されています。

・・・実際に作戦の行われている地域、現実の戦鬪が行われているか、すぐにも行われようとしている地域即ち戦場には、細かい例外的な事例を除いて大胆に割り切ってみれば、およそ国際法上三種類の人間がいることになります。

 即ち、(1)戦鬪には直接関係のない一般住民(戦時法規では「文民」(*Civilian)と呼んでいます)、(2)戦鬪行為に従事している「戦闘員」 (*Combatant)の二つに大別される他に、(3)戦鬪行為に従事していながら戦時法規の定める要件をそなえていない「非合法」の戦闘員 (*Unlawful combatant)がありえます。

 敵方の権力内に陥った場合には、(1)一般住民であれば、文民としての保護が与えられ、(2)合法的戦闘員であれば、名誉ある捕虜として待遇され、そして、(3)非合法戦闘員と認定されれば、戦争犯罪人として遇される恐れがあります。

 ですから、ここで重要なポイントは、銃をとって戦う者が合法的戦闘員として認められる要件とは何かということです。つまり、「(*戦争)捕虜 (*Prisoner of War: POW)」イコール「合法的戦闘員(*Combatant)」という図式をしっかりと理解しておくことです。

 1949年のジュネーヴ第三条約の第四条は〔捕虜となるもの〕を規定した条文です。いろいろと複雑なことが書いてありますが、われわれ一般国民としては、その基本的なことを知れば足りるでしょう。思い切って整理して単純化すれば、次のような条件を具えた者です。

 まず第一に、「紛争当事国の軍隊の構成員及び軍隊の一部をなす民兵隊又は義勇隊の構成員」であれば、無条件で合法的な戦闘員と認められます。わが国の「自衛隊」は、国内では軍隊か否かという論議の的となっていますが、国際社会では疑いもなく「軍隊」として遇されているので問題はありません。(*中略) 問題は、パルチザンとかレジスタンスとかゲリラとか、それ以外の独立の組織的な抵抗運動の団体の一員である場合です。その場合には、次の四つの条件を具えていなければなりません。それは、

   (1)「部下について責任を負う一人の者が指揮していること」

   (2)「遠方から認識することができる固着の特殊標章を有すること」

 (3)「公然と武器を携行していること」

 (4)「戦争の法規及び慣例に従って行動していること」

の四条件です。

 この四条件そのものは、1907年の「(*ハーグ) 陸戦法規」に規定されているものと同じです。多少の解説をしてみると、(1)指揮者の存在は、軍隊的規律の有無ということでしょう。(2)の特殊標章とは、特別なユニフォーム(*制服)を着用しているとか、特別の腕章をつけているとかいろいろな方法があるでしょうが、要は一般住民と遠方より区別できるということです。たとえば、スイスでは、地区の司令官の下に出頭して、軍服あるいは少なくとも赤地に白十字(スイスの国旗)の腕章を支給してもらうようきめられています。

 (3)の公然と武器を持つということは、武器をかくし持っていて、突如としてそれを取り出して使用してはいけないということを意味します。何故ならば、相手方の軍隊は一般住民と戦闘員との識別が非常に困難となるので、肝心の一般住民の保護が実際上できなくなるからです。つまり、そのような言わば非合法の戦闘員が一般大衆の中にかくれていると、やむをえず無差別の攻撃をせざるをえないからです。(4)の戦時法規の遵守は、大変重要な条件です。戦時法規を遵守するには、戦時法規の概要ぐらいは知っていなければなりません。(*中略) しかるに、わが国では、小学校から大学に至るまでの学校教育のいかなる段階においても、赤十字その他の社会教育の場においても、戦時法規の教育が完全に欠如しています。軍隊である筈の自衛隊でもその教育が不十分と言われていますから、ましてや一般国民が無知なのは当たり前かも知れません。

 しかし、こんなことでは、たとえば、わが国の領土の中に敵の軍隊が侵入してきた場合、愛国心から不正規兵として銃をとる者がいても、戦時法規を遵守する条件を満たしていないことになって、皆、非合法の戦闘員と見做され、(*戦時国際法上の)捕虜(*POW)の待遇を拒否されることになります。つまり、戦争犯罪人(*軍法会議で即刻処刑されることもあり得る)にしかなれないのかも知れません。これは由々しい問題ではありませんか。

・・・(**前掲書141~143頁及び145~146頁より部分抜粋引用)

 この続きは、また次回取り上げたいと思います。