前回は、斎藤三知雄著『日米開戦と二人のソ連スパイ ホワイトとヒスが石油禁輸を促した』(2022年PHP研究所刊)の第十章末尾の原注から、第二次世界大戦直前期の米国内ジャーナリストに、少なからぬソ連の工作員(agent)がいたことをご紹介しました。今回は、ミトロヒン文書から、1970年代の日本で、ソ連KGBの工作員と思しき記者たちが、大手新聞社などマスメディアに巣食っていたことを示す記述をご紹介したいと存じます。

 本シリーズ第(76)回でも取り上げた『ミトロヒン文書Ⅱ  KGBと世界(英国版未邦訳):THE MITROKHIN ARCHIVE II  THE KGB AND THE WORLD**』Penguin Allen Lane, 2005年刊の原文記述からなのですが、この本**は、「ミトロヒン文書」を調査研究した英国の情報史学の権威であるケンブリッジ大学のクリストファー・アンドルー教授が、ミトロヒン氏と共著で出版した全二巻にわたる同文書の解説書であり、英米両国で刊行されました。まず1999年に同文書のうち欧米に関するものを扱った第一巻が出版され、続いて2005年にアジア・アフリカ・中近東・中南米などの地域に関する内容を扱った第二巻が出版されたのです。英国と米国では英文タイトルが異なりますが内容は同じとのことです。いずれも著者はChristopher Andrew (ケンブリッジ大学教授)/Vasili Mitrokhin (元KGB Archivist)の共著です。

第一巻:英国版『The Mitrokhin Archive: The KGB in Europe and the West, Allen Lane, 1999.』

第一巻:米国版『The Sword and the Shield: The Mitrokhin Archive and the Secret History of the KGB, Basic Books, 1999.』

第二巻:英国版『The Mitrokhin Archive II: The KGB and the World, Allen Lane, 2005.』(*上記書)

第二巻:米国版『The World Was Going Our Way: The KGB and the Battle for the Third World, Basic Books, 2005.』

 このうち第二巻の第16章が「Japan(日本)」の章です。戦後の日本共産党(The JCP: The Japanese Communist Party)や全学連、総評の活動についても触れられていますが、特に日本社会党(JSP: The Japanese Socialist Party)については、暗号名 (codename) ”KOOPERATIVA” と名付けられたKGB作戦による日本社会党への工作内容は、本シリーズ第(76)回でご紹介した通りです。かつての日本社会党の勝間田清一元委員長らも、ソ連KGBからの裏金を、ソ連と取引のあった商社からの「献金」を介して受け取っていたといわれています。このことはレフチェンコ証言とも合致しているのです。もちろん現在の自民党の裏金も許されませんが、外国の秘密諜報機関から裏金を受け取っていた日本社会党は、売国的という意味も含め、さらに許されないものがあるように感じます。そして同様に深刻なのは、当時の大手新聞社などの報道機関にも、ソ連KGBの工作員がいたということです。これでは、「中立公平公正」を謳う日本のマスメディアの記事を、そのまま鵜呑みにして信用することができなくなります。現在はどうなのかはわかりませんが、「政府権力を監視するマスメディア」を監視する第三者機関が存在しない以上は、まずはこうしたマスメディア各社の自浄能力が強く求められるところです。それでは、その具体的内容が上記『THE MITROKHIN ARCHIVE II**』では、302頁の下段から304頁上段にかけて記述されていますので、まずはその英文原文をご紹介します。(*裕鴻註記・補足)

・・・Most KGB agents in the media probably also had mainly mercenary motives. Files noted by Mitrokhin identify at least five senior Japanese journalists (other than those on JSP publications) who were KGB agents during the 1970s: BLYUM on the Asahi Shimbun, SEMYON on the Yomiuri Shimbun, KARL (or KARLOV) on the Sankei Shimbun, FUDZIE on the Tokyo Shimbun, and ODEKI, identified only as a senior political correspondent on a major Japanese newspaper. 

  The journalist ROY, who, according to his file, regarded his work for the KGB simply as ‘a commercial transaction’, was valuable chiefly for his intelligence contacts and was instrumental in the recruitment of KHUN, a senior Japanese counter-intelligence officer who provided intelligence on China. 

  Not all the paid agents in the Japanese media, however, were willing recruits. Mitrokhin’s summary of SEMYON’s file notes that, during a visit to Moscow in the early 1970s, ‘He was recruited on the basis of compromising material’: changing currency on the black market (probably in an ambush prepared for him by the SCD*) and ‘immoral’ behaviour (doubtless one of the many variants of the KGB ‘honey trap’). During his six years as a Soviet agent, SEMYON tried frequently to persuade the KGB to release him. The Centre eventually broke contact with him after he had been caught passing dis-information. 〔*SCD: Second Chief [International Security and Counter-Intelligence] Directorate (KGB)/*Centre: HQ of KGB (or FCD*) and their predecessors/*First Chief [Foreign Intelligence] Directorate, KGB〕

  Stanislav Levchenko later identified several other journalists used for KGB active measures, of whom the most important seems to have been  Takuji Yamane (codenamed KANT), assistant managing editor and personal adviser to the publisher of the conservative daily Sankei Shimbun. According to Levchenko, one of his controllers, Yamane skilfully concealed his pro-Soviet sympathies beneath a veneer of anti-Soviet and anti-Chinese nationalism and became one of Tokyo residency’s leading agents of influence. Among the Service A forgeries which he publicized was a bogus ‘Last Will and Testament’ of Zhou Enlai concocted soon after his death in 1976, which contained numerous references to the in-fighting and untrust-worthiness of the rest of the Chinese leadership and was intended to disrupt negotiations for a Sino-Japanese peace treaty. 

  The Centre doubtless calculated that the forgery would make more impact if published in a conservative rather than a JSP paper. It believed that even Beijing, which tried frantically to discover the origin of the document, was not at first sure whether or not the document was genuine. After a detailed investigation, however, the Japanese intelligence community correctly identified Zhou’s will as a forgery. This and other active measures failed to prevent the signing on 12 August 1978 of a Sino-Japanese peace treaty which, to the fury of Moscow, contained a clause committing both signatories to opposing attempts by any power to achieve hegemony (a phrase intended by Beijing as a coded reference to Soviet policy. 

・・・(**前掲書320~304頁)

 では、これを以下に仮訳してみます。(*裕鴻註記・補足)

・・・メディアにいるほとんどのKGBのエージェントは、おそらく主に金銭的な動機を持っていたと考えられます。ミトロヒンが記録したファイルによれば、1970年代にKGBのエージェントだった日本の上級ジャーナリストが少なくとも5人いることが確認されています(日本社会党 (JSP) の出版物(党機関紙など)に属する者を除く)。

   朝日新聞のBLYUM (*ブリュム)、読売新聞のSEMYON (*セミョーン)、産経新聞のKARL (*カール)(またはKARLOV(*カルロフ))、東京新聞のFUDZIE (*フージー)、そして大手日本新聞の上級政治記者とだけ特定されているODEKI (*オデキ)です。

   ジャーナリストのROY (*ロイ)は、彼の記録ファイルによればKGBのために働くことを単なる「商取引/ビジネス (*‘a commercial transaction’)」と見なしていた人物ですが、彼のインテリジェンスによる「人脈(*contact)」は非常に価値があり、KHUN(*フーン)の獲得に重要な役割を果たしました。KHUN(*フーン:レフチェンコ証言ではシュバイク)は日本の防諜機関の幹部で、中国に関する情報を提供しました。

   〔*裕鴻註記:但しフーンは、その情報がKGBに渡るとは考えておらず、あくまで記者ROYへの協力でした。尚、レフチェンコ証言では、このロイはアレスという暗号名で、共同通信記者とされています。山内智恵子著/江崎道朗監修『ミトロヒン文書 ソ連KGB・工作の近現代史***』(2020年ワニブックス刊)241頁より〕

   しかし、日本のメディアにいるすべての有償のエージェント(工作員)が、進んで協力していたわけではありませんでした。ミトロヒンがまとめたSEMYON(*セミョーン)の記録ファイルによると、1970年代初頭のモスクワ訪問中に「不利な材料に基づいて」彼(*SEMYON)はリクルート(*工作員に)されました。その材料とは、闇市場での通貨交換(おそらくSCD*が準備した罠によるもの)と「不道徳な」行動(疑いなくKGBの「ハニートラップ」の多くのバリエーションの一つ)でした。ソビエトのエージェントとしての6年間、SEMYON(*セミョーン)は頻繁にKGBに「解放」を求めました。最終的に、彼がKGBに虚偽情報を渡したことが発覚したところで、ソ連諜報本部(Centre*)は彼との接触を断ちました。

   〔*SCD: KGB第二総局(国際安全保障及び防諜担当部局)/Centre*: ソ連諜報センター: KGB(またはFCD*)及びその前身組織の諜報本部/*FCD: KGB第一総局(対外諜報局)〕

 スタニスラフ・レフチェンコは後に、KGBの活動に利用された他の複数のジャーナリストを特定しました。その中で最も重要だったのは、保守系の日刊紙産経新聞の副編集長であり、発行者の個人顧問であった山根卓二(コードネーム:KANT)と思われます。レフチェンコによると、彼の管理者の一人であった山根は、反ソビエトおよび反中国のナショナリズムの表面下に、巧妙に親ソビエトの心情を隠し、東京在住の主要な「影響力のあるエージェント」の一人となりました。彼(*KANT)が広めた、KGB第一総局のA機関(偽情報・積極工作担当)作成の偽造文書の中には、1976年に周恩来の死後すぐに作成された偽の『周恩来の遺言書』がありました。この文書には、中国指導部の内紛や不信に関する多くの言及が含まれており、日中平和条約の交渉を妨害することが意図されていました。

 ソ連諜報本部(Centre*)は、偽造文書が日本社会党 (JSP)の党機関紙などではなく、「保守系の新聞」に掲載される方が、より大きな影響を与えると確信していました。実際、文書の出所を必死に突き止めようとした「北京(*中国政府当局)」ですら、当初はその文書が本物かどうか確信が持てなかった、とされています。しかし、詳細な調査の結果、日本の情報機関は、『周恩来の遺言』が偽造であることを正しく見抜きました。この他の活動も含め、ソ連は結局、1978年(*昭和53年) 8月12日に行われた日中平和条約の調印を防ぐことはできませんでした。この条約には、モスクワ (*ソ連政府)を激怒させた条項が含まれており、両署名国 (*日中両国)がいかなる権力による覇権の試みにも反対することを約束するもので(北京がソ連の政策を暗喩するために意図した表現)、モスクワはこれに対して強い不満を抱きました。・・・(*上記英文の仮訳。尚各コード名のカタカナ名は、山内智恵子著/江崎道朗監修『ミトロヒン文書 ソ連KGB・工作の近現代史***』の240-241頁のリスト掲載名と整合させました。)

 こうして一般に左寄りと思われている新聞のみならず、保守系(右寄り)と思われている新聞にまで、当時のソ連KGBはその魔手を伸ばしていたことがわかります。保守系新聞の記事として流した方が「信憑性が高い」ということまで計算して仕組まれていたわけです。こうした冷徹な合理性や知性こそ、「Intelligence」という言葉に相応しいとも言えましょう。現代日本に最も欠けている部分と言えるかも知れません。もっとしたたかに、当時の「東西」の陣営を問わず、各国は現在も、こうした「インテリジェンス作戦」に注力しているのです。それが国際社会のシビアな実態なのです。

 そのことを示す書籍は少なからずあるのですが、例えば、ベン・マッキンタイヤー著『KGBの男 ― 冷戦史上最大の二重スパイ****』(小林朋則訳、2020年中央公論新社刊)〔原書:THE SPY AND THE TRAITOR: The Greatest Espionage Story of the Cold War (Viking, London, 2018) by Ben Macintyre〕という本があります。


   この本****は、ベン・マキンタイアー氏によるノンフィクションで、冷戦時代における最も重要なスパイの一人、オレーク・ゴルジエフスキーの物語です。

   著者のベン・マキンタイアー氏は、イギリスの作家であり、著名な歴史家でありまたジャーナリストでもあります。1963年11月25日、イングランドのオックスフォード生まれで、ケンブリッジ大学に学び、そこで歴史学の学位を取得しました。その後、ジャーナリストとして活動し、イギリスの新聞や雑誌に寄稿してきました。

   彼はノン・フィクションの著作で知られており、特に諜報活動や歴史上の事件に焦点を当てています。その中でも特に注目されているのが、第二次世界大戦時から冷戦時代にかけての、秘密作戦やスパイ活動に関する一連の作品です。

   マキンタイアー氏の著作には、この本****の他、『Operation Mincemeat』(邦訳版、小林朋則訳:『ナチを欺いた死体 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』2011年中央公論新社刊)、『Agent Zigzag』(邦訳版、高儀進訳:『ナチが愛した二重スパイ ― 英国諜報員「ジグザグ」の戦争』2009年白水社刊)、『A Spy among Friends』(邦訳版、小林朋則訳:『キム・フィルビー ― かくも親密な裏切り』2015年中央公論新社刊)などがあり、これらの著作は高い評価を受け、多くの読者に支持されているとのことです。

   以下に本書****の内容を簡単にご紹介しますと、オレーク・ゴルジエフスキーは、KGBのエージェントでありながら、イギリスのMI6に二重スパイとして情報を提供した人物で、彼のスパイ活動は冷戦の行方に大きな影響を与えました。

   ゴルジエフスキーは、ソビエト連邦のKGBでキャリアを積んでいましたが、次第に西側諸国に共感を抱くようになります。その理由は、ソビエト体制の抑圧やプロパガンダの虚偽性に対する不満を次第に抱いたことでした。そこで1974年、ゴルジエフスキーはMI6 (英国秘密情報部)と接触し、二重スパイとしての活動を開始します。その結果、彼は数多くの重要な情報をMI6に提供し、西側の諜報活動に大きく貢献しました。

   しかし、当然のことながら、ゴルジエフスキーの活動は非常に危険で、常に発覚のリスクが伴っていました。そしてついにソ連側に疑われた彼は、最終的に1985年に逮捕され、尋問を受けます。しかし、奇跡的に脱出に成功し、イギリスに亡命することができました。

   ソ連崩壊後も後継のロシア秘密情報機関は「裏切り者」として、彼の生命を狙っているとされ、2008年4月メディアによる報道では、2007年11月2日にゴルジエフスキーがサリーの自宅から救急車で現地の病院に運ばれ、34時間も意識不明の状態で過ごしたと報じられました。彼は「モスクワの強硬派によってタリウムで毒殺されかけた」と主張したといいます。

   ゴルジエフスキーの情報提供は、西側諸国がソ連の内情を正確に把握し、冷戦戦略を検討するのに大きく役立ち、そのため彼の行動と貢献は、冷戦の終結に向けた大きな一歩となったとされています。

   この『KGB の男:THE SPY AND THE TRAITOR****』は、ゴルジエフスキーの勇気と機転、そして冷戦時代のスパイ活動の複雑さと危険性をその心情を含めて描いた物語です。ベン・マキンタイアー氏は、緻密なリサーチと迫力ある筆致で、読者を当時のスリリングな諜報戦の世界に引き込んでゆきます。同書****邦訳版の帯には次のように書かれています。

 表帯:サッチャーもレーガンも正体不明のソ連人に救われた。英国で45万部突破!核戦争を回避させた老スパイは現在、英国で24時間警護を受けながら、名前も身分も偽った孤独な生活を送っている。ゴルジエフスキー本人のインタビューとMI6で工作に関わった面々の証言から、大胆にして危険極まりない諜報半生を辿る。

 背表紙帯:前代未聞の脱出劇から35年 ベン・マッキンタイヤー

 裏帯:西側情報機関にとって、工作員をKGBに潜入させることは「火星に送り込むのと同じくらい無理なこと」だった。

 ジョン・ル・カレ、はたまたイアン・フレミングの小説に匹敵する緊張感をはらんだスリリングな実話!――エコノミスト誌

   瞠目のノンフィクション・スリラーにして、一か八かの諜報の詳細なる報告――ガーディアン紙

 ひとりの男の勇気を描いた出色の物語――タイムズ紙

   英国発ベストセラー 世界20カ国で続々刊行!

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 このゴルジエフスキーがこのような「ソ連を裏切る決断」をした原因について、本書****の訳者、小林朋則氏はその「訳者あとがき」の中で、次のように当時のソ連社会を説明してくれています。小林氏は筑波大学人文学類卒の翻訳家で、数多くのノン・フィクションや歴史関係書の邦訳をされている方です。

・・・マルクス・レーニン主義によれば、共産主義社会は、私有財産制が否定されて共有財産制が実現された、階級も搾取もない理想社会だという。しかし現実のソ連では、財産と生産手段を握ったソ連共産党にすべての権力が集中し、これに共産党内での権力闘争が加わって、全体主義的な独裁体制が成立していた。共産党は、社会と革命を先導する存在として無条件で正しいとされ、異を唱える者は弾圧された。共産党が正しい証拠として、「資本主義国である欧米の労働者は搾取されて悲惨な生活を送っているが、それに比べてソ連は労働者の楽園だ」とするプロパガンダとフェイクニュースが国内外向けに盛んに作られた。アメリカに対抗するため、ソ連経済は軍備拡張と宇宙開発に重点が置かれ、生活用品の生産はしばしば後回しにされた。しかも、それを隠すかのように、存在しない「最先端の家電製品」が注文殺到で品切れ状態だとする嘘のT Vコマーシャルさえ作られた。宗教は、資本主義社会の矛盾から労働者の目をそらすためのまやかしだとして禁じられていた(ただし、旧ソ連では宗教(*ロシア正教)に一定の敬意が払われていたのは、本書にあるとおりだ)。さらにソ連国内だけでなく他の共産主義国家に対しても、ソ連共産党に異を唱えれば国家主権を無視して軍事介入も辞さないことは、ハンガリー事件(ハンガリー動乱)やプラハの春の後の行動から明らかだった。こうしたソ連の体制を支える組織のひとつが、KGBだった。そのKGBの一員であるゴルジエフスキーがなぜ二重スパイになったのか? それを本書****の著者ベン・マッキンタイヤーは、多くの資料と関係者へのインタビューを基に、詳細に描き出している。

・・・(****同上書480~481頁)

 ぜひ読者の皆さんもこの『KGBの男 ― 冷戦史上最大の二重スパイ****』を入手され、ご一読されることをお薦めします。非常にvividに迫真の情況が伝わってくる良著です。この本を読めば、近現代史において、こうした諜報・謀略活動を抜きにしては、決して歴史の真実は究められないことが、如実に示されているのです。(次回につづく)