ここのところ、元KGB少佐レフチェンコ氏の証言とミトロヒン文書から、現代日本へのソ連による謀略活動の様子を見てきました。今回は、少し時間を遡り、斎藤三知雄著『日米開戦と二人のソ連スパイ** ホワイトとヒスが石油禁輸を促した』(2022年PHP研究所刊)を取り上げたいと存じます。同書**の著者略歴によれば、斎藤三知雄先生は「米国在住の市井の歴史研究者。早稲田大学卒業。南カリフォルニア大学大学院修了。ローカライゼーション産業に従事するかたわら、歴史研究に着手する。全米のアーカイブ(米国立公文書館、米国議会図書館、フーバー研究所、ルーズベルト大統領図書館、トルーマン大統領図書館など)や大学図書館(南カリフォルニア大学、UCLA、スタンフォード大学など)で調査を行う。特に関心のあるテーマは、太平洋戦争前後の日米関係である。」とのことです。

   日本在住の研究者が、長期間米国に出張・滞在して、これらの米国のオリジナル史料を長年に亙って精査・調査し研究を続けることは、実際上なかなかできません。わたくしはNHK BS1スペシャル番組「山本五十六の真実」の制作に当時ディレクターとして携わった際、米国取材で真珠湾の太平洋艦隊司令部、ニューポートの米海軍大学校、ペンサコラの国立海軍航空博物館、ワシントンD.C.の米海軍歴史遺産保存司令部などで、様々なインタビューや史料調査の機会を得ましたが、その時の僅かな期間の探訪でも、アメリカにはこうした近現代史の史料が豊富にきちんと残されていて、現在も国家予算をかけて研究を続けている専門の海軍史家たちがいることに、圧倒された思いでした。

 そもそも国家レベルの「近現代史に対する真剣な取り組み」自体が全く異なるのです。それだけ「歴史から学び、それを現実の政策課題や問題解決に応用しようとする現実主義的なスタンス」が重視されており、国会議員も含めた政治家や官僚、そして軍人も、真摯に歴史に向き合っているのです。ただでさえ、日本のように大学に入学してしまえば、よほどのことでもなければ、大学卒業ができるわけではなく、彼らは大学で大量かつ高水準の勉強をしています。ものすごい量の本を読み、レポートを書き、ディベートで討論し、教授と一対一で面談しながら、自己の専門的研究をある一定水準まで達成しないと卒業ができません。であるからこそ、米国の一流大学の学位には、それだけ重みも内実も伴っているのです。日本でも一流大学入学は、それなりに難しいのですが、問題は大学入学後です。アメリカやヨーロッパの大学のように、真剣に勉強しなくとも、卒業ができてしまうことが、国際比較をすれば、結局は日本の大学教育の質を落としているといえるかも知れません。一説では、日米大学生の4年間の読書量比較は、100冊対400冊とも言われています。

 ご参考:「アメリカ大学生の読書量は桁違い?! | RYUGAKU POST」

https://www.d-sidejp.com/ryugaku-post/2017/02/19/dokusho/

   この意味でも、上記書**の著者、斎藤三知雄先生は名門早稲田大学卒業のみならず、米国の名門難関大学の南カリフォルニア大学大学院を修了されているのですから、相当に知的修練を積まれたわけです。しかも米国で事業をしながら、全米の史料を直接ご自分で調査・研究されているのですから、その貴重な研究成果はまことに傾聴に価するものです。

 この本**は、今までご紹介してきたような絶版の書ではなく、2022年刊のいわば現役バリバリの書ですから、ぜひ読者の皆さんは直接同書**を購入され、ご一読戴きたいと存じます。従って本記事では、同書**の「まえがき」と「目次の章立て」と「エピローグ」の一部をご紹介することにしたいと存じます。

   まずは、「章立て」です。

第一章 新資料公開で暴かれたソ連スパイと日米開戦の関係

第二章 二人の大物ソ連スパイ、ホワイトとヒス

第三章 出世の踏み台となったニューディール政策

第四章 ホワイトとヒスの裏の顔――チェンバースの証言

第五章 日本に経済制裁せよ――日米通商航海条約の破棄

第六章 第二次世界大戦が始まり揺れ動くアメリカ

第七章 陰の動きを加速するホワイトとヒス

第八章 石油禁輸が実現したプロセス

第九章 財務省の権威の陰で暗躍するホワイト

第十章 石油会社とオランダを操るヒス

第十一章 ハル・ノートの裏にもホワイトがいた

第十二章 アメリカに浸透していたソ連諜報部

エピローグ 日本は歴史から何を学ぶべきか 日本政治の課題

 このような構成になっています。ここで斎藤三知雄先生による「まえがき」を少し読んでみましょう。(*裕鴻註記、漢数字は一部表記修正)

・・・本書**は、太平洋戦争前の日米関係、特にアメリカ政府内の動きと、ソ連と共産主義の影響について記したものである。今から約80年前、当時の世界は、先進国で資本主義が発達してきたものの、社会保障政策は発達が遅れて貧富の差が激しかった。また世界の列強国はアジアやアフリカを植民地化していた。このようななかで、労働者の権利を拡大し、植民地を解放しようとする共産主義には、多くの人が期待を寄せた。

 しかし、ソ連のスターリンが政権をとってから、世界の共産主義運動はスターリンの支配下に置かれるようになった。スターリンに反対する人物は粛清(*処刑・大量殺戮)された。スターリンの独裁は、深刻な人権侵害や周辺国の侵略など多くの問題を引き起こした。ソ連は、世界中で役立ちそうな共産主義者がいると、ソ連のスパイ網に組み込んでいった。スターリンはソ連のスパイ網を、自己の権力の拡大や、ソ連の国益のために用いた。

 アメリカ政府内の共産主義者がソ連のためにスパイを働いていたのではないかという疑惑は昔からあったが、決定的な証拠がなく、真偽は不明のままとなっていた。ところが1990年代に入ってソ連が崩壊すると、アメリカ側とロシア側から新資料が公開された。これらによって、研究者のあいだでは、アメリカ政府内の共産主義者がソ連のスパイを働いていたことが確実視されるようになった。特に地位が高かったのが、財務省のホワイトと国務省のヒスである。

 本書**では、アメリカ側の新資料(ヴェノナ文書やOASIA資料)や、ロシア側のKGB資料を参照しながら、全米のアーカイブを巡ってアメリカ財務省や国務省などに関する資料を調査し、日米開戦前にホワイトやヒスがどのような動きをしていたのかを明らかにした。

 特に、アメリカがなぜ日本に石油禁輸をしたのかは、これまでよくわかっていなかったが、ホワイトとヒスが深く関わっていたことを本書で明らかにした。(*この太字は裕鴻によるもの)

   ホワイトは自分の部署の中にFFC(外国資産管理)分析課をつくってアメリカの経済戦争の方針を決定しようとし、実際にアメリカから日本への石油輸出を止めてしまった。そしてオランダ(*蘭印)から日本への石油輸出については、石油輸出をさせないように、国務省のヒスが暗躍した。

 日本では「ソ連のスパイのホワイトが強硬なハル・ノートをつくって日本に押しつけた」などと言われることがあるが、これはソ連KGBのパブロフが主張する作戦(オペレーション・スノー)のことを指している。本書**では、ソ連諜報部全体の動きを説明しながら、実際のソ連の作戦がどのようなものであったのかを明らかにしている。そしてホワイトがつくった日米協定案が、米国政府内でなぜ強硬な「ハル・ノート」になってしまったのか、その経緯も解明した。

 さらに、ホワイトと部下たちが、日中戦争(*日華事変)開始以降、日本への経済制裁をずっと狙っていたことや、ABCD包囲網(米英中蘭による対日経済制裁)が国務省でどのように確立され、その背後でヒスがどのように暗躍していたかについても明らかにした。

 本書が今後の太平洋戦争の研究の一助となれば幸いである。

・・・(同上書**3~4頁)

 このように斎藤三知雄先生は書かれています。上記太字部分が特に肝心です。これまでは推測によるところが多かった、このソ連の政治謀略活動の足跡を本書**が、全米のアーカイブや、本シリーズで見てきたソ連崩壊直後に流出してきたKGB極秘文書類などから解明したことの意義は、大変大きいものがあります。ちなみに流出した旧ソ連機密文書については、本シリーズ第(70)回でもご紹介した通り、〔リッツキドニー文書(1991年)・ヴェノナ文書(1995年)・マスク文書(1990年代後半)・イスコット文書(1990年代後半)・ヴァシリエフ・ノート(2009年)・ミトロヒン文書(2014年:但し、解説書刊行は1999年と2005年)〕などがあります。尚、同書**巻末の12頁に亙る参考文献リストを見ると、膨大な英語資料・文献が挙げられており、また日本語書籍も相当数に上っています。その模様は、同書**の注釈をインターネットで見ることができますので、皆さんもぜひ覗いてみてください。広範かつ詳細な文献による注釈が施されていることからも、本書**が真摯で堅実な研究書であることがおわかり戴けると存じます。

https://www.php.co.jp/books/dl/pdf/9784569852522.pdf

 尚、ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White、1892-1948)は、コロンビア大学、スタンフォード大学で学び、ハーバード大学で経済学博士号を取得した秀才で、フランクリン・ルーズベルト政権のヘンリー・モーゲンソー財務長官を補佐する財務次官補を務めた人物です。もう一人のアルジャー・ヒス(Alger Hiss、1904-1996)は、本シリーズ第(67)回でもご紹介しましたが、やはりハーバード大学出身のエリートで、国務省の高官としてヤルタ会談にも出席し、ルーズベルト大統領の側近として活動していました。また戦後の国際連合の設立にも関わっています。この二人とも現在では、ソ連のエージェントであったことが確認されているのです。

   さて、同上書**の「エピローグ」の前半部分である「日本は歴史から何を学ぶべきか」も併せて読んでみましょう。

・・・本書では、太平洋戦争前のアメリカ政府内部の動き、特にソ連の諜報組織や米国共産党地下組織がいかにアメリカ政府の政策に影響を与えたかをみてきた。

   米国共産党地下組織のメンバーは共産主義活動家であることを隠してアメリカ政府に入ると、共産党細胞を増やす活動をして仲間を増やしていった。そして、有用な人物はソ連の諜報部に取り入れられていった。ソ連は、そのような人物を通じて、アメリカ政府の機密情報を盗み、またアメリカ政府がソ連に都合のよい政策をとるように誘導していたのである。

 アメリカでは、共産主義者が支配する反日団体が反日活動を活発化させるとともに、マスコミに潜り込んだ非公然の共産主義者が反日報道を流して、ソ連が望むようにアメリカの世論を反日にしようと活動した。

 アメリカ政府が望んでいなかった日米戦争へと突き進んでいった背後には、政府内の共産主義者の動きや、反日世論などの影響があったのである。これはアメリカだけのことではない。日本も太平洋戦争前にはゾルゲ・スパイ網に食い込まれている。

 アメリカで反日運動が起こると、話し合えばわかると日本は思いがちであるが、反日運動の中心が、共産圏からお金をもらって活動している職業革命家の場合、「腹を割って」話し合っても簡単に解決することはできないであろう。

 日本はアメリカと戦っていると思っていたが、実際にはアメリカ国内の共産主義者と戦っていたのかもしれない。そして共産主義者の背後にいるのはソ連であった。日本は、実はソ連と戦っていたのかもしれない。

 日本は歴史から何を学ぶべきであろうか。現在の日本の安全保障上の問題となっている国の多くが、共産主義国か元共産主義国であることを考えると、日本は共産主義国の諜報・謀略活動の歴史についてもっと研究すべきであろう。大学付属の研究機関、あるいは独立した研究機関をつくって、研究を活発化させるべきなのであろう。しかし日本は、共産主義国の諜報・謀略活動に対抗する前に、やるべきもっと重要なことがあるようである。(*後略)

・・・(**同上書419~420頁)

 このように、斎藤三知雄先生は「警告」を発しておられます。この本**の内容が示している通り、ソ連工作員としてのこの二人の米国高官が、ルーズベルト政権内部で、日本を戦争に追い込むための石油禁輸や、中国からの撤兵・三国同盟解消など、日本が飲みにくい条件を強く求める外交姿勢に、多大なる影響を及ぼしていたとすれば、日本側での尾崎秀實による南進政策(対ソ不参戦と南部仏印進駐)の推進と相俟って、結局はソ連・スターリンの政戦略の通り、洋の東西での謀略的内部圧力で、日米開戦の方向性にベクトルを向けさせたもの、とも解釈できるのです。

   ということは、巷間言われるような「ルーズベルトが日米開戦を仕掛けた」ということではなく、実はソ連のスターリンが、米国と日本のそれぞれに秘密謀略工作をしかけて、日米を戦わせる方向に持っていった張本人である、と言えるのです。

   そして現在、もはやソ連という国家はなくなっていても、後継国のロシア、共産党が支配する中国、ソ連に学んだ北朝鮮、という近隣国に囲まれているわが国は、引き続きこうした諸外国勢力による諜報・謀略活動にさらされていると考えておくべきなのです。常に国際情勢は変転していますが、しかし「根本的な発想とか枠組み」は、本質的にはあまり変わらない構造を持っています。ですからこうした旧ソ連工作活動の歴史から学ぶべきことは、今現在もたくさんあるのです。

 そこで、絶版の書である加瀬英明監修/宮崎正弘訳『ソ連KGBの対日謀略 レフチェンコ証言の全貌***』(1983年3月山手書房刊)から、米国議会下院で1982年7月14日に開催された情報活動特別委員会Closed hearing (秘密聴聞会)での「レフチェンコ証言」の前日13日に、当時のジョン・マクマホンCIA副長官が報告した際に提出したCIA作成資料の一部をご紹介します。

・・・Ⅱ ソ連は「積極工作」もしくは「行動的手段」〔*Active Measure〕をどう認識しているのか

 A主要な敵・米国

 ソ連指導部にとって、行動的手段(*Active Measure)とは、伝統的な外交、軍事、その他の活動をなす際に不可分のものと考えている。作戦の主要目的は、既述のようにソ連に敵対する勢力を弱めることが基本である。そして世界的規模でソ連外交を進展させるための好ましい環境作りを目的とする。

 クレムリンにとって、米国は主要敵(ロシア語のいうグラブニイ・プロテブニクは、主要反対者、主要敵対者とも訳されている――CIA補註)だ。

 第二次大戦が終ってから早い時期に、ソ連は米国をそうみなしはじめ、東西の緊張緩和がなされた期間中にも、この状況には何らの変更もなかった。

 とはいうもののソ連の戦術は、時移るに従い、周辺環境の変化にともなって変わってきた。

 ソ連の積極工作作戦は、ある長期的な戦略目標を持続して実現するために使われる。それは以下のように、である。

○米国の軍事、経済、政治のプログラムはソ連を脅やかす目的と〔ソ連が〕考えているから、米国内外で、これらのプログラムに反対する。

○米国は侵略的な“植民地主義者”もしくは“帝国主義者”だと訴えつづける。

○米国を同盟国や友好国から孤立させ、彼らの協調路線をヒビ割れさせる。

○米国の情報活動――とくにCIAのそれを弱め、人々が信頼しないようにしむける。〔この典型がKGBの作ったCIA協力者リスト(*偽文書)である〕米国の情報活動従事者を暴露する。

○ソ連外交を有利に実践するための好ましい環境を作る。

○ソ連の侵食に対して西側が守ろうとする利益、米国の政治的な解決策をうち砕く。

・・・(***同上書153~154頁)

 よく左翼人士は「米帝(べいてい)」という言葉を使っていましたが、この「米国帝国主義」という言葉は、上記のソ連「積極工作」の用語そのものです。そして「日米安保粉砕!」や「米軍基地は出てゆけ!」などというスローガンも、まさに上記の路線上の展開です。こうして「大局的かつ長期的な観望」を「鳥の眼」でしてみると、戦後日本の歩みに於いて、恐らくこうしたソ連KGBなどの「政治謀略工作」の影響を感じさせる要素が、いくつも見出せるのです。

 巧みに「日本の平和」を訴えているようであっても、実はその結果・効果としての、共産圏諸国(含む旧共産主義国)の相対的な有利・優位性につながる、米国・欧州の西側陣営にとって不利となる方向性が、その背後には隠されていると、見做すこともまた可能なのです。疑うことをあまりしない我ら日本人にとっては、「まさかそんなことまで…」と半信半疑になるような工作活動が、実は強固なる国家的意志を持って、これらの共産主義諸国では着々と行われてきているという警告を、これらの「謀略の歴史」は示しているのです。(次回につづく)