前回は、「ベ平連」のベトナム反戦運動や、60年安保・70年安保闘争の時代を取り上げましたが、この時代について、まずは山内智恵子著/江崎道朗監修『ミトロヒン文書 ソ連KGB・工作の近現代史**』(2020年ワニブックス刊)の「第5章 ミトロヒン文書と日本――戦後の対日工作」から、次の記述を読んでみたいと存じます。(*裕鴻註記、尚漢数字はアラビア数字に適宜修正)

・・・<日米間にくさびを打ち込む>

 (*当時、)ソ連が対日工作を行う上で最も邪魔なのは、日米安保条約と在日米軍基地の存在です。ソ連は戦後、日本をアメリカとの同盟からできる限り引き離すための工作を延々と行ってきました。KGB(*ソ連国家保安委員会)が特に絶好の好機と考えたのが、1960年(*昭和35年)の日米安保条約改正をめぐって起きた反対運動の高まりです。

 1951年(*昭和26年)、サンフランシスコ講和条約と同時に吉田茂首相が調印した旧安保条約は、日本防衛義務を規定する条文がなく、日本国内の暴動鎮圧に米軍が出動でき、期限や事前協議の定めもないという不平等なものでした。

 そこで岸信介首相(*安倍晋三元首相の祖父)が就任直後からアイゼンハワー大統領に粘り強く働きかけ、もっと相互的で互恵的な条約への改定を合意したのですが、日本社会党や総評(日本労働組合総評議会)などを中心に全国統一組織「安保改正阻止国民会議」が結成され、「アメリカの戦争に巻き込まれるな」というスローガンを掲げた反対運動が展開されました。急進的な新左翼学生組織「全学連」(全日本学生自治会総連合)も国会突入など過激な「安保闘争」を繰り広げました。

 衆議院での採決間近の1960年6月4日に行われた「全国統一行動」には、総評の発表によれば560万人が参加しました。6月10日には、羽田空港に詰めかけたデモ隊が、アイゼンハワー大統領訪日日程を協議するために来日したJ・ハガチー報道官を取り囲んで立ち往生させ、結果としてアイゼンハワー訪日を中止に追い込みました。6月15日の国会前デモの参加者数は、主催者発表によれば33万人に上り、1946年(*昭和21年)5月の「食糧メーデー」の25万人を上回っています。食糧メーデーは、お心を痛められた昭和天皇がラジオでおことばを賜ったほどの事態でしたが、安保闘争デモも容易ならざる事態で、一時は岸首相が赤城宗徳防衛庁長官に自衛隊の治安出動を要請したほどです(結局、治安出動命令は出されませんでしたが)。

 ミトロヒン文書によると、KGBは、「安保闘争」を盛り上げただけでなく、(*KGB)第一総局のA機関(偽情報・秘密工作担当)に命じて日米安保条約附属書を偽造し、プロパガンダ工作を行っていました。この附属書によると、米軍は旧安保条約と同様に日本国内の暴動鎮圧に出動することになっていました。実際には新安保条約にそのような附属書は存在しないのですが、安保改定後も米軍が日本国内での暴動鎮圧にあたる密約があるという偽情報を拡散したわけです。偽造附属書ではさらに、日米の軍事協力の範囲が中国沿岸とソ連の太平洋艦隊を含むことになっていました。(*原註:The Mitrokhin Archive II, p.297.)

 この偽情報を使って、「日本はアメリカに支配されている!」「日本は海外に武力進出するのか!」と、政治不信と安保反対運動を煽るという筋書きです。自衛隊のPKO初参加のときも小泉(*純一郎)内閣の有事法制制定のときも、第二次安倍(*晋三)内閣の平和安全法制制定のときも、こういう煽り方は感心するくらい全然変わっていません。・・・(**同上書194~197頁より部分抜粋)

 当時デモに参加していた皆さんの殆どは、まさか裏にソ連の秘密情報機関(KGB)が暗躍していたことなどは全く知らず、ただただ純粋に平和のためだとか、戦争に巻き込まれたくない、という「想い」から参加されておられたものと思います。しかし、その実態はここにあるように、冷徹な国際政治上の力学から来る、ソ連及び共産圏の「政治的謀略」の一環でもあったのです。

   ご参考:平和安全法制反対デモの様子

 https://twitter.com/onoderamasaru/status/1545531391198515200?s=21&t=4Ez-CzfJ1233wIqzANcN4w

「小野寺まさる@onoderamasaru」氏のTwitterより↓

 日本側やアメリカ側が弱くなるということは、相対的に共産圏側(今日では露・中・北)の立場が強くなることを意味するのです。こうしたことがわかった上で、「私たちはソ連・中共・北朝鮮の味方です」と正々堂々と明示して主張するのであれば、それを踏まえた上で、賛成するのは自由民主主義である我が国では可能です。尤もこうした共産圏諸国では、そんな政府に反対するような運動自体があり得ないこと(弾圧されて強制収容所送りか処刑されるだけ)なのですが、それはさて置いたとして、問題はその「欺瞞性や偽装性」にあるのです。

 いかにも純粋な平和希求の運動を装いながら、実はアメリカ側を不利にすることで、結果的にソ連・中共・北朝鮮側を有利にしようという底意が隠されているところが「謀略的」なのです。

   一体どういうことをすれば、どちら側が不利となり、その反対側が有利となるのか、という観点で常に「相対的に理解する眼」が肝要なのです。その正確な理解の上で、ご自分の思想や価値観に基づく、自由な意見や主張の表出は、わが国は「思想・言論の自由」が保障されている「自由民主主義国」ですから、それこそ日本国憲法により保障されています。

   しかし、この点は、よく考えておかねばなりません。少なくとも現在のロシア・中国・北朝鮮といった、権威主義的体制では、こうした「思想・言論の自由」が充分に保障されているとは言えない情況にあることも、きちんと理解しておかねばならないのです。

 もう一つ、わたくしたちがこのソ連「KGBの発想」のような「リアリズム」から学ばねばならない点は、「見かけ上の色分け」によっては、「工作のターゲット」を判断できないということです。例えば、産経新聞は「保守派寄りの論調」と認識され、朝日新聞は「左翼寄りの論調」と認識されると思いますが、ソ連KGBは、当然にシンパと思しき朝日新聞のみならず、むしろ逆サイドと思しき産経新聞にも、積極的に浸透していたという事実です。これは一体どうしてなのか、と思うところですが、実は当時のソ連と中国(中国共産党)の関係は極めて悪化しており、むしろニクソン訪中や田中角栄訪中によって、米中関係及び日中関係は改善し、ソ連のみが孤立化する国際情勢にあったことが、重要な鍵となっているのです。従ってソ連KGBの狙いは、日米のみならず、中国に対しても、その「謀略の刃」を向けていたのです。従って、毛沢東以後の中国共産党の指導体制に分裂があるという点を国際社会に流布することで、「中国政権の不安定性」への懸念を拡散することが、相対的にはソ連にとっての有利となるという構造なのです。このソ連の「政治謀略」に、知ってか知らずか巻き込まれたのが、当時の産経新聞編集局長だった山根卓二氏だったのです。一方で、思潮的には対立する論調である朝日新聞は、当時の社説や記事で懸命にこの「レフチェンコ証言」を否定しようとしていました。この辺りに関連する、レフチェンコ氏自身の言葉を、「文春砲」で有名な「週刊文春」記者(斎藤禎氏、当時の編集長は後に社長となる白石勝氏)によって1983年5月に行われた独占インタヴューから、少し順不同で拾い読みしてみましょう。『レフチェンコは証言する***』(1983年文藝春秋刊、「週刊文春」編集部編)からです。

・・・(記者):(*暗号名)カント(山根卓二・前サンケイ新聞編集局長:*原註)は?

 レフチェンコ:エージェントです。

 (記者):サンケイ新聞は、どういう新聞だと思いますか?

 レフチェンコ:サンケイ新聞は、保守的な新聞だと思います。大変に反ソ連的な面があります。ソ連よりもアメリカよりの立場をとることが多い新聞です。

 (記者):ソビエトは、サンケイ新聞の論調にいら立ったことがありますか。

 レフチェンコ:あると思います。しかし、KGBは、サンケイ新聞に浸透しているんですよ。

 (記者):なぜ、サンケイ新聞にKGBは浸透することになったのですか。

 レフチェンコ:反中国という点も大事です。(*「敵の敵は味方」という論理)

 (記者):山根(*卓二)さんも、あなたの発言をことごとく否定しています。

 レフチェンコ:山根氏の反論には、私が同意できないものが、あまりにも多い。まず、「周恩来の遺書」についてが、そうです。

 〔「周恩来の遺書」とは、日中の離反を狙ってKGBが仕立て上げたもので、KGBの偽情報工作(ディスインフォメーション)のなかで最も成功した例とされる。この「遺書」をサンケイ新聞のコラムで山根氏がとりあげたことが、結局、辞任につながった、とされる――(*週刊文春)編集部注:*原註〕

 (記者):どこが同意できないのですか。

 レフチェンコ:山根氏は、「周恩来の遺書」を持ちこんだのは、私、レフチェンコだと言っているが、これは違います。ノーボスチ通信のスミリノフ(KGB少佐)が持ち込んだのです。山根氏が何を言おうと自由ですが、違うものは違うのです。

 (記者):山根氏とは、あなた自身、何回ぐらい会ったのですか。

 レフチェンコ:約五十回です。

 (記者):山根氏は、あなた方と会う時は「借りをつくってはいけない」というのが持論だった、と述べています。

 レフチェンコ:しかし、私と会った時、山根氏の方が、コーヒー代金でさえ一度たりとも払ってくれたという記憶はありません。

・・・(***同上書88~89頁より部分抜粋)

・・・(記者):もう一度、いわゆる“レフチェンコ・リスト”に戻ります。やっぱり、あなたがコード名(*暗号名)ではなく、実名を出してくれることを望みます。どうして、実名を明かさないのですか。その上で、正々堂々とその人たちに反論させたらいい。

 レフチェンコ:私は、人々を傷つけたくないのです。しかし、そうおっしゃるなら、私の気持ちをのべましょう。サンケイ新聞の山根氏が辞任したと聞いて、悲しく思います。人々が傷つくのを見たり聞いたりすることは、よい気持ちのするものではありません。しかし同時に、山根氏が編集局長を辞任するのは、彼にとって最善の道だったでしょう。なぜなら、KGBのエージェントが大新聞の編集局長だなんて、考えられますか。

 (記者):なぜ実名を出したんです?

 レフチェンコ:もう一度言いましょう。なぜ私が少数の人々の実名を出したかという唯一の理由は、いかに、KGBが浸透して人々を操作していたか、その例を知らせたかったのです。非常にむずかしい決断でした。実名を出さんがために出す、などということは望んでいないのです。人々を傷つけることは欲しません。それだけです。

  <なぜ、実名を出したのか>

 (記者):どういう基準でもって、あなたが直接担当した十人ほどのエージェント、三人やめましたから最後は七人ですが、その中から山根(*卓二)さんや山川(*暁夫)さんの名前を公表するにいたったのか。そこのところが、もう一つわかりにくいのですが。

 レフチェンコ:山根氏は特別のケースです。彼は日本の大新聞の編集局長です。私は、日本人に、不幸にもそういうことだって起こりうるということを警告したかったのです。そんなことが将来再発することを防がねばならないのです。それに議会の報告書で彼が書いた「周恩来の遺書」の記事が発表されてしまったため、彼の名が自然に出てしまったこともあります。

・・・(***同上書76~80頁より部分抜粋)

・・・(記者):あなたは、今、日本で、誰が一体KGBのエージェントなのか“犯人探し”のようなことが行われているのを批判しているのでしょう。

 レフチェンコ:そうです。私は、誰も差別などしていません。一部の人の名前をエージェントとしてあげるには、大変な勇気がいったのです。名前をあげることなど、少しも気持ちのよいものではありません。私は、KGBがいかに日本で暗躍し、そして、日本の脅威になっているか、を日本のみなさんに知らせたかったのです。真相を語るためには、いくつかの例が必要だったのです。不幸なことですが、それは必要なことだったわけです。

 ある日本のジャーナリストは、私に、「なぜ一部の人の実名をあげたのか。名前を明かさなかった人に対しては、特別な感情を抱いているからでしょう」と聞きました。しかしそんなことはないんです。私は、すべての人に、格別の人間的感情を持っています。私が実名をあげた理由は、KGBがいろいろな分野、ジャーナリストから国会議員までを含めて、さまざまな分野に浸透していることを訴えたかったのです。

・・・(***同上書132~133頁より部分抜粋)

・・・(記者):あなたの中には、悲観論と楽観論が複雑に入りまじっているんですね。

 レフチェンコ:そうでもありません。日本の一部の人は視野が狭くなっているのではないでしょうか。あなたは、ダチョウ的思考法というのをご存じですか?

 (記者):いや、知りません。

 レフチェンコ:ご存じのように、ダチョウの図体は大きいのに、頭は極度に小さい。脅かされると、頭を砂に入れます。すると、彼は外部が何も見えない。そして、自分が見えないなら、当然、他人も自分のことが見えないだろうと錯覚してしまうのです。わかりますか、私の言っていることが。“レフチェンコ事件”というのが、まったくそれと同じなんです。一部の人は、こんなにもKGBが日本に浸透しているのに、ダチョウのように実相を知ることを望んでいないのです。

 (記者):どうしてでしょう?

 レフチェンコ:さあ、知りません。(*中略)問題は、何が真実かということです。

 (記者):しかし、われわれ(*日本人)は、真実を見ていないと言うのでしょう。

 レフチェンコ:いや、そう言っては間違いです。私たちは真実をゆがめようとしている、一部の人々のことを語っているわけです。実際、日本人は真実を強く求めていると思いますよ。それが、いかに日本が民主主義的な国であるかという、証拠になるわけでしょう。

 (記者):一部の人々ですか、問題は。

 レフチェンコ:読者を、真実を知ることから遠ざけています。

・・・(***同上書108~109頁より部分抜粋)

 日本社会のある一部の人々にとっては、国民に「知られたくない真実」や「知らせたくない真実」が存在しているということを、レフチェンコ氏は語っているのです。(次回につづく)