今、自民党は裏金問題で国民から厳しい批判を浴びています。それは当然です。政治家になった時点で、「自分の金のためにやる」というような心は捨て去っていなければなりません。政治献金にせよ寄付にせよ、それは政治活動の公金であって、決して私的に利用してはならないものなのです。もしその金が自分や家族の私的利用に供されたのであれば、それは法的以前に、政治家の倫理として許されないことなのです。だから政治家になるのであれば、自身の金儲けの観念は捨て去り、国のため、国民のための公金の運用に専念しなければならないのです。そして本当に自民党の裏金が公的な目的に使用されたのであれば、正々堂々と証拠を示して反論すべきですし、そうでない人は政治家を辞するべきです。こうしたことにより、少なくとも戦前の1925年(大正14年)制定の普通選挙導入以来、間もなく百年になろうというのに、公職に就く政治家としての倫理が未だに成熟していないどころか、むしろ劣化しているのではないか、と疑わざるを得ません。この意味と文脈(context)に於いて、そのような「金に汚い政治家」には猛省を促したいと存じます。政治家は何よりも金にきれいであるべきです。それはしかし、自民党に限りません。野党も含め、日本の全部の政党政治家に要請されるべき、「職業としての政治家」としての倫理なのです。こういうことを言うこと自体を「青臭い議論」だと、心の底で馬鹿にしてきた政治社会的「文化」こそ、糺してゆかないと、一般国民に蔓延している「政治不信」は決して払拭などできないのです。いいかげんに「金で動く政治」を卒業しなければなりません。

 アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト博士による1946年刊の名著『菊と刀』(現在の邦訳版:講談社学術文庫、長谷川松治訳)は、太平洋戦争中、アメリカの戦時情報局(OSS)による戦時敵国研究の一環として、日系人や戦時捕虜へのインタヴュー調査から生み出された「日本文化論」の嚆矢ですが、それは、西洋のプロテスタンティズム(キリスト教)による米国社会を「罪の文化(内面倫理の文化)」とすれば、東洋の儒教による日本社会は「恥の文化(外面倫理の文化)」であるという、日米の宗教倫理的な比較文化論でした。プロテスタントは神と人間の1対1の向き合いによる善悪判断を基礎とし、内面的倫理に規制されますが、儒教的な東洋世界では、社会的な体面や立場という外面的倫理に規制される特徴があるという、比較分析をしたものです。文化人類学を専攻した者としては、文化相対主義的な比較分析であることが理解できますので、巷間言われているような優劣をつける趣旨ではなく、比較文化上の特徴の対比という観点からの分析だと思いますし、実際に、儒教社会の体面や社会的立場を重視する倫理的規制の存在は、韓流テレビの時代劇を見ていてさえも、その東洋的同根性を感じさせますので、そんなに間違った分析ではないものと私は判断しています。

   つまりある行動の善悪可否を判断する倫理的根拠が、「唯一絶対神との心の中の対話」において「罪であるか否か」を判断する文化特性か、それとも「世間体や社会の見る目」を勘案することによる「恥となるかならないか(恥ずかしくないか)」、つまり外面倫理上・外形倫理上、問題となるかならないか、を判断の根拠とする文化特性か、という対比なのです。すなわち、善悪可否を判断する主体が、プロテスタンティズムでは「内面的な絶対神」であるのに対し、儒教社会では「外面的な世間体や社会の評価・批判」であることを意味します。

 かつてのアメリカでは聖書に手を置いて、神に誓って嘘や偽りを言わないと宣誓してから、法廷でも議会聴聞会でも「証言」するわけですから、それは精神世界的に「神に向き合っての真実」を述べなければ非倫理的言動になり、それは神に対する「罪」となるのです。しかし日本に限らず東洋の儒教的基盤を持つ社会では、「その場を切り抜けられるか否か」が、「世間体を踏まえて立場的乃至社会的に非難されないかどうか」とリンクしてしまい、「真実よりは、皆にどう受け止められるか」が肝心となります。

   今般の裏金問題で、自民党の議員先生の「説明」という名の「言い訳」に於いても、「どのような印象を与えたか」が、相当に大きな影響力を持っていたようにも見受けられます。もちろん「建前」論的には、「真実を言っているか」が重要とされているわけですが、弁明する側も追及する側も、「どうせ本当のことは言いっこないが、どこまでこの攻防で、ボロを出させるか、出させられないか」が、結局は実質的には問われている構造なのではないでしょうか。まあ「それを言っちゃおしまいよ」という声も聞こえるようですが、「バカ正直」に「なんでもかんでも本当のことを言ってしまう」というのは「頭が悪いんじゃないの」というような、「本音」がどこかに働いているのではないでしょうか。これが「本音と建前」という論理構造であり、それを「恥となるかならないか」という倫理規制として捉えたのが、ルース・ベネディクト流であったわけです。その象徴的表現として、「罪の文化と恥の文化」という比較文化的な特性対比をしたのです。

 田中角栄元首相が追及された「ロッキード事件」も、米国議会公聴会でのロッキード社コーチャン副会長などの「証言」が引き金となっていますが、恐らく当時の日本の事件関係者たちは、「どうしてそんなことを議会でバラすのか」が全く理解できなかったというのが「本音」ではなかったろうか、と思います。「日本的常識」ではあり得ないと思ったことでしょう。しかしアメリカでは「真実を証言する」ことは、神との約束を守ることであり、そもそもモーゼの十戒の第九戒「偽りの証言をしてはならない」に反してはならず、もし嘘をつけば、それは倫理的に「罪」となるのです。それは法的に偽証罪として処罰される以前に、神に対して罪を犯し、死後地獄に堕ちる行為なのです。

 さて、こうした西洋的な精神的背景を持つ議会での「証言」として、本人の言明によれば「ロシア正教の神(つまりキリスト教の神)」に回帰していた、元KGB少佐のスタニスラフ・レフチェンコ氏の証言記録を、前回に引き続き、絶版の書である『レフチェンコは証言する**』(1983年文藝春秋刊、「週刊文春」編集部編)から読んでみたいと思います。

   但し、これは今から40年以上前の1983年5月の「インタヴュー」であることには留意が必要です。現在の人脈的な後継政党である社民党や立民党、国民民主党のことでは決してありませんが、ただここで指摘されているような「社会党の性質」のいくつかが、決してこれらの政党に受け継がれていないことを願うばかりです。(*裕鴻註記、尚漢数字はアラビア数字に修正)

・・・〔社会党の弱点は統一に欠けることだ〕

(記者):(*日本)社会党については、どう分析していますか。

 レフチェンコ:私の認識では、非常に興味深い党です。日本社会のよい部分を代表する実によい伝統を持った党です。社会党のスペシャリストとして考えるに、大変優秀な党員を抱えています。彼らが代表する社会、あるいは帰属する派閥の利益に熱心です。しかし、同時に、複雑な党でもあります。この点が、社会党を他の日本の政党から少々違った党にしているのです。

 つまり、社会党は、党員が一つの方向にまとまるべき、憲章とでも呼ぶべきものを持っていません。

(記者):その点が、社会党の統一イメージを作るのを妨げているというのですか。

 レフチェンコ:そうです。社会党はしばしば内部から崩壊していきます。すばらしい個人個人でありながら、党員の大部分の人は、それぞれの道を歩みたがるのです。さらに、興味深いことは、党の中核が社会主義協会であることです。ところが、国会議員となると、社会主義協会系の人はきわめて少ない。

(記者):ずいぶん、詳しいのですね。

 レフチェンコ:社会主義協会系の人が何人いたかは、今、思い出せません。しかし、きわめて少数であったことはたしかです。こうして党内でいろいろな方向に分かれていることが、戦術的理由となって、社会党がしばしば選挙で成功しないことにつながるのではないでしょうか。

 ともかく、社会党の弱点は、私の見解では、統一性に欠けることにあると思います。綱領が不明確なのです。私は、もちろん、社会党を批判する立場にはいませんが……。

(記者):社会党がより統一されて、強力になることを、ソ連は望んでいるのですか。

 レフチェンコ:ソ連が望んでいることは、プロ・ソビエトの強力な党になることです。逆に保守的に統一された党なら、歓迎しません。

(記者):そのうちの、どちらかの方向にこれからの社会党は進むと思いますか?

 レフチェンコ:私の個人的な見解では、社会党は徐々により現実的な、より保守的なものになっていくと思います。その過程は、社会党にとって、苦しいものだと思います。しかし、徐々にそうなっていくと考えます。

(記者):しかし、それは、親ソ的ということを意味しませんね。

 レフチェンコ:その通りです。ソビエトは、党内の保守的な層が社会党の中心勢力にならないように全力をあげているのです。

(記者):それが、いわゆる“レフチェンコ・リスト”に社会党の人々が多くでてくる理由なんですか。

 レフチェンコ:そうです。社会党が右の方向に転換しないようにするために、いたるところで、人々をリクルートしようとするわけです。社会党というのは、複雑な党です。そのためにソ連は四六時中、社会党の人々をターゲットにし続けるのです。なぜなら、一つの派閥に何人かのエージェントを持ったところで、それが他の派閥に影響を与えるということにつながらないからです。

(記者):なるほど。

 レフチェンコ:これが、KGBがすべての派閥にエージェントを持とうと懸命になる理由です。同時に、エージェントの数が多くなる理由でもあるんです。

 しかし、他の点では、社会党というのはすばらしい党です。個人的にも何人かの人々を知っています。しかし、ここで、名前を言うつもりはありません。またぞろ、“名前あてゲーム”になってしまうからです。

(記者):勝間田(*清一)派が、日ソ間の友好商社と関係があると、あなたは言っていますが……。

 レフチェンコ:ソ連およびKGBは友好商社のいくつかをチャンネルとして、社会党にお金を流しています。

(記者):どの商社ですか?

 レフチェンコ:どの商社であるか、具体的には覚えていません。しかし、かなりの数でした。

(記者):必ずしも、そのお金が勝間田派に流れているというわけではないのでしょう?

 レフチェンコ:勝間田(*清一)氏は、非常に有名な政治家です。(*勝間田)氏が、レストランの片隅でお金を受けとるなどということは、想像しにくいことです。しかし、この友好商社というものが、どんな機能を果たしているか、勝間田氏は知っていたと思います。

(記者):勝間田氏自身がお金をとっていたのですか。

 レフチェンコ:勝間田氏自身がお金をとっていたかどうか、は私は知りません。ですが、友好商社が何であるかはご存じだと思います。

(記者):本当にそう思いますか。

 レフチェンコ:ただ、こういったお金の流れは合法的でしょう。社会党は、この点を強調するでしょう。政治的活動のために、資金を寄付することは非合法ではないと思います。しかし、今は、日本の法律を論ずるのが目的ではないのです。

(記者):資金に関して、他の社会党関係者の場合は、どうですか。

 レフチェンコ:伊藤(茂)氏には、援助があったと思います。

(記者):誰が担当していたのですか。

 レフチェンコ:KGB東京駐在部次長のセバスチャノフです。

(記者):どういう場所で会っていたのですか。

 レフチェンコ:会う場所などについては、注意が払われていたようです。伊藤氏にはたぶん、一千万円前後の額だったと思います。

(記者):あなたが目撃しているのですか。

 レフチェンコ:してはいません。だが、十分に信頼できる立場の人から、聞いた話です。

・・・(**同上書172~176頁)

 もう今から四十年以上前の話ですし、当時この本**は公刊されたわけですから、該当する法律のことは知りませんが、いずれにせよ今となっては時効でしょう。第(71)回でご紹介した通り、こうしたことを当時の朝日新聞記事は、「二十人については伝聞だけだ」とか「本人たちは真っ向から否定している」とか「捜査当局は犯罪に結びつく事実はないと否定している」、「C I Aとレーガン大統領の世界戦略だ」、「ジャーナリストは“スパイらしいスパイ”とは違う」などという趣旨のことを並べて「レフチェンコ証言を切る」べきと主張したわけです。しかし、疑われた本人たちが「真っ向から否定する」のは当然ですし、朝日新聞もよくご存知のはずですが、レーニン流の共産主義組織では、他のグループの活動については皆に公けには知らせないのが大原則ですから「伝聞」が重要ですし、まあレーガンの世界戦略かどうかは別として、ジャーナリストのカバーは、スパイの世界ではよくある例であり、そもそもゾルゲもドイツの「フランクフルター・ツァイトゥング紙」の特派員をカバーとして使用していました。朝日新聞の記者たるもの、この「ゾルゲ事件」すらよく調べなかったとすれば、何故にそんなに慌ててこんな記事を書かれたのか、返って疑問が増します。普通に考えれば、我が国でのスパイ事件を調べてから、それらとの対比の上で、慎重に記事を書くのが真っ当な知識人たる記者の報道姿勢ではないのでしょうか。それを見逃したデスクや編集長の姿勢にも同様の疑問が湧きます。この朝日新聞記事について、山内智恵子著/江崎道朗監修『ミトロヒン文書*** ソ連KGB・工作の近現代史』(2020年ワニブックス刊)の「第5章 ミトロヒン文書と日本――戦後の対日工作」から「『ミトロヒン文書Ⅱ』をめぐる日本メディアの沈黙」の項の一部を、ご紹介したいと存じます。

・・・当時、朝日新聞は、「単に一亡命者の発言をもとに、特定の個人や団体の背景を疑ったり、発表されぬ名前をせんさくしたりすることは慎まねばならない」「『スパイ』に惑わされるな」「当局は内容を疑問視」と、非常に力を入れて、レフチェンコ証言の信憑性を否定する論陣を張っています。これまで日本で発覚したソ連のスパイ事件関係者のほとんどが外交官、駐在武官、通商代表部など外交特権を持つ人だったのと異なり、レフチェンコは『ノーボエ・プレーミャ』(新時代)誌特派員というジャーナリストなので、「スパイらしいスパイではない」という噴飯ものの主張さえしています(もちろん、ジャーナリストは外国に送り出される機関員が最もよく使うカバーの一つです:*原註)。

 逆に言えば、レフチェンコ証言は、それだけ必死に叩かねばならないくらい、日本の親ソ的勢力に重視され、警戒されていたということです。

 ソ連協力者として名指しされた人びとは全員が全く身に覚えがないと否定しました。外務省の調査でナザール(*コード名)として特定されたA氏も、匿名のまま新聞社の取材を受けて、やはり全否定しています。レフチェンコ証言に出てきた人びとのうち、逮捕・起訴された人は誰もいませんでした。

 しかし、レフチェンコ事件について『警察白書』昭和五十九年(*1984年)版(*第6章 公安の維持)は、次のように述べています。

 《警察庁は、証言に表れたソ連の情報機関KGB(国家保安委員会)の我が国における活動に伴って違法行為が存在するか否かについて調査するため、(*昭和)58年(*1983年)3月、係官をアメリカに派遣し、レフチェンコ氏より前記証言の更に具体的な内容について詳細に聴取した。

 証言及び聴取結果によれば、レフチェンコ氏は、亡命当時KGB少佐の地位にあり、「新時代 (*ノーボエ・プレーミャ)」誌支局長の肩書を利用しつつ日本の各界に対して、日・米・中の離間、親ソロビーの扶植、日ソ善隣協力条約の締結、北方領土返還運動の鎮静化等をねらいとした政治工作を行うことを任務としており、この任務に関して11人の日本人を(*agentとして)直接運営していた。この種の工作においてKGBが成功した例としては、ねつ造した「周恩来の遺書」を某新聞(*産経新聞)に大きく掲載させたことがあった。

 警察は、そのうち必要と判断した数人から事情を聴取するなど所要の調査を行った。その結果、レフチェンコ氏やその前任者等から、金銭を使ってのスパイ工作をかけられ、実際に我が国の政治情勢等の情報を提供していたこと、また、相互の連絡方法として、喫茶店等のマッチの受渡しによる方法が用いられたり、「フラッシュ・コンタクト」(情報の入った容器を歩きながら投げ捨てると、後ろから来た工作員が即座にそれを拾う方法)の訓練をさせられたこと等の事実が把握されたが、いずれも犯罪として立件するには至らなかった。

 しかし、「レフチェンコ証言」については、同証言に述べられた政治工作活動の内容と、警察の裏付け調査の結果及び警察が過去に把握してきた各KGB機関員の政治工作活動の実態とが多くの点で一致するところから、その信ぴょう(*憑)性は全体として高いものと認められた。》

 つまり、警察は当時からレフチェンコ証言の信憑性が高いと認めていました。レフチェンコ証言の信憑性は、ミトロヒン文書(*Ⅱ)が世に出たことでさらに高まったと言えます。レフチェンコ証言とミトロヒン文書の多くが一致するということは、レフチェンコ証言の裏付けがKGB文書にあることを意味します。(*中略)

 レフチェンコ事件のときとは逆に、『ミトロヒン文書Ⅱ』の刊行は、日本のメディアではほとんど取り上げられませんでした。読売新聞が1973年の田中角栄首相訪ソ前後の平和条約締結に関するソ連の対日積極工作を取り上げたのが一回、産経新聞がヴァルカン作戦と東京湾に放射性物質をばらまく破壊工作計画を報じたのが一回だけです。朝日新聞は、ミトロヒン文書(*Ⅰ)の欧米編が出たときに少しだけ取り上げましたが、『ミトロヒン文書Ⅱ』(*日本の章があるもの)については見事に沈黙しています。大変残念です。・・・(***同上書234~237頁より部分抜粋)

 この「マスメディアの沈黙」は一体何を意味しているのか、日本の知識人の皆さんも何故黙っているのか、その真実に迫る新聞記者は何故いないのでしょうか。最後に前掲書『レフチェンコは証言する**』(1983年文藝春秋刊、「週刊文春」編集部編)から、もう一つ彼の言葉をご紹介したいと存じます。

・・・〔社会主義では日本の経済は動かせない〕

(記者):左翼政権が日本にできにくいとする理由はなんだと思いますか。

   レフチェンコ:(*前略) 日本の場合、左翼運動の一部は、我を張ることが多い(*統一しない)のです。自分の道だけを行きたがるのです。(*中略)

 もう一つ、私には、日本の左翼勢力がこの巨大な日本経済を動かしていけるとは思えません。もし、日本経済のなかに社会主義を導入したら、日本にとってまったくの災厄をもたらすことになるでしょう。日本の民主主義と経済力の崩壊を意味します。社会主義というのは、そういったものとは異質の存在なのです。今後、ますます多くの日本人が、この問題について本質を理解していくことになろうと思っています。

(記者):しかし、そういった社会主義体制が日本にできることをソ連は望んでいるのではありませんか。

 レフチェンコ:いいえ。公平に見て、ソビエトは、日本で社会主義革命を起こそうとは思っていません。

(記者):しかし、強力な左翼勢力というものを望んでいるんでしょう?

 レフチェンコ:そうです。しかし、ソ連としては、日本の左翼勢力がますます強大となって、自民党が極端に遠くに行ってしまわないように、均衡をとる勢力になってくれれば、幸福なわけです。これが、ソ連が日本の左翼にかかずらう理由なんです。・・・(**同上書184~186頁より部分抜粋)

 つまり、自民党があまり強くなり過ぎないよう、足を引っ張る役割を、日本の左翼勢力に果たしてさえもらえば、自民党政権のままの方が、ソ連にとっては好都合で役に立つということです。なんたるリアリズムでしょうか。(次回につづく)