前回、第(70)回で少し取り上げましたが、1979年10月に勤務先の日本からアメリカに亡命し、1982年12月に米国議会下院の情報特別委員会秘密聴聞会でKGBの対日謀略について証言した、当時KGB少佐のスタニスラフ・アレクサンドロヴィチ・レフチェンコ氏に対しては、1980年代前半の日本では、基本的にまだまだソ連シンパの共産主義的思想に共鳴する知識人や言論人が多かったため、レフチェンコ氏自体をCIAのエージェントだとか、中曽根康弘政権誕生を支持させるために仕組まれたアメリカの陰謀だとかの批判が相次ぎました。

 この1980年代に50~70歳代であった人々は1910~1930年代生まれであり、20歳代は戦争・敗戦・終戦直後という戦乱・混乱の時代を過ごした世代です。第(68)回で取り上げた猪木正道先生は1914(大正3)年のお生まれですから、ちょうどその前後の世代が、日本の政財界・言論界のトップとして君臨していたのが、大雑把に言えば大体1970~1980年代であったわけです。ということは、猪木先生も書いておられる通り、政治・経済学や社会学、そして歴史学という社会科学分野では、基本的にマルクス主義が全分野を制圧していた時期に学生時代を過ごした世代でもあるのです。また終戦後は特に、マルクス・レーニン主義が蔓延した新制大学の、学生運動や安保闘争などを、少し年長者として指導する年代でもありました。

 第(67)回で取り上げた、戦前の東京帝大の新人会(細胞)や各大学にできた学連(細胞)など、共産党特有の末端最小組織である「細胞」に着目すると、終戦直後の「東大細胞 (共産党支部)」は、のちに日本共産党指導者となる上田健二郎(筆名:不破哲三)氏とその実兄の上田耕一郎氏をはじめ、読売新聞主筆となった渡邉恒雄氏、西武グループ創業家の堤清二(筆名:辻井喬)氏、日本テレビ会長となった氏家齊一郎氏、共産党から転じて社会民主連合結成に参加した安東仁兵衛(筆名:笹田繁)氏などの、指導的人物を輩出しました。

 こうして、全国の難関大学を卒業して、政財界・言論界(マスメディア)に進み、社会的地位を得て、大きな影響力をこの世代の人々が持った頃、ソ連KGB (国家保安委員会) は、こうした指導的な立場にいた人々の中で、共産主義やソ連に対して好意的な人々に働きかけ、ある人には直接的に対価を提供し、また別の人には気付かれないようにしながら結果的にソ連に有利となるように協力をさせる、というような秘密裡の活動をしていたのです。それを1982年に元KGBのレフチェンコ少佐が、亡命先の米国議会下院の情報特別委員会秘密聴聞会で証言したわけですから、実名を発表された方はもとより、暗号名しかわからなくとも肩書きや行動履歴などから推定された対象人物たちは、自分はソ連のスパイではないと、全員が強く全否定したのです。特に朝日新聞が強く批判したわけですが、他のマスメディアも基本的に否定的にこのレフチェンコ証言を取り扱いました。そこで現在でも勇名を馳せている「文春砲」の週刊文春は、のちに文藝春秋の社長となる当時の白石勝編集長が、1983年5月に斎藤禎記者を米国ワシントン郊外に派遣し、四日間約二十時間にわたって単独インタヴューを実施しました。同内容は同年6月2日号の週刊文春から五週間連載されましたが、週刊誌記事には記載しきれなかった細かな部分も加えて、そのインタヴュー全体を一冊に纏め、1983年8月30日に出版されたのが、『レフチェンコは証言する**』(文藝春秋刊、「週刊文春」編集部編)です。


 この本を読むと、当初様々な疑念や批判的な観点からの突っ込んだ質問を繰り返していた記者に対し、レフチェンコ氏が辛抱強く、かつ可能な限り正確な説明に努めたことや、その回答内容に、彼の知性や真摯さが滲み出てくる様子が窺われ、特に最後の亡命理由を述懐する部分には、立場を超えた人間としての共感を抱かざるを得ない内容が記録されていると、わたくしは思います。

 大体において、今から約四十年前の日本では、スパイとかエージェントと言っても、007シリーズの映画のような荒唐無稽な活劇的イメージはあっても、真に国家的謀略を日本社会の政財界や言論界にまでソ連が及ぼそうとしていたなどということを、現実味を持って受け止めることができないムードだったようにも思います。しかしこのレフチェンコ氏の説明をよく聴いて(読んで)みると、非常に論理整合的かつ合理的に、「ソ連という国家に如何にして、少しでも有利な情況を生み出そうとしているか」という観点から眺めてみれば、「なるほど」と納得できる内容が、そこには語られているのです。

 まず、レフチェンコ氏は、「スパイ(spy)」という言葉は一切使っていません。そして「エージェント(agent)」という言葉も、次のように分類して定義しているといいます。(*裕鴻註記ほか)

・・・(**同上書64頁に引用されている、『リーダーズダイジェスト』1983年5月号の同誌日本版の塩谷編集長によるレフチェンコ氏へのインタヴューより)

   ①真の(狭義の)エージェント(agent)、これはKGBの完全なコントロール下にある。

   ②信頼すべき人物 (trusted contact)、KGBに協力していることを承知してソ連側に情報を流したり、逆に日本国内に逆情報(disinformation:*故意の誤報、デマ、にせ情報)を流す。この中で、影響力のある人物(agent of influence)は、日本政府の政策や世論をソ連に有利にするグループで、KGBが特に重視する。

   ③友好的人物 (friendly contact)、本格的な協力者とはいえないが、ジャーナリストなどを装うKGB将校と友人関係にある人物をさす。

   ④脈のある人物 (developing contact)、KGBが何回か接触した結果、有望であると判断した人物・・・(**同上書64頁の「週刊文春」編集部注)

 尚、「スパイ」と「エージェント」については、レフチェンコ氏は次のような説明をしています。

・・・スパイという言葉は通俗的なものです。諜報機関の活躍ぶりを描いた、映画や小説を見たり読んだりした時に、用いられる言葉ですね。ですから、教養あるジャーナリストが、こんな通俗的な言葉でもって深刻な話を語っているのを見ると、残念に思います。

 スパイ(*spy)というのは、通俗語であって、諜報活動にたずさわっている人々をさす、ごく一般的な言葉なわけです。一方、エージェントというのは、これは、職業的(*professional)な特別な術語です。エージェント(*agent)というのは、外国政府によってリクルート(*recruit)されて、自国の情報や機密などを相手に漏らしていく人物をさすわけです。同時に、外国政府の望み通りに、自国の政策などに影響を及ぼしていく人物も、エージェントの範疇に入ります。

 もう一つ、ケースオフィサー(*case officer)(エージェント工作を担当する将校)という言葉があります。ケースオフィサーというのは、特別な訓練をほどこされています。いかにすれば、エージェントを雇い入れることができ、いかにすれば、効率よくエージェントを操作できるか。さらに、いかにすれば、先端技術情報などを、エージェントを通して盗めるか、といった職業的技能をもった情報将校が、ケースオフィサーなわけです。

 ですから、KGBのケースオフィサーとエージェントの区別は、ケースオフィサーというのは、職業的技能を持った人間で、エージェントというのは、そのプロに雇い入れられた人間を指すわけです。エージェントには簡単な訓練を要求することがあるかもしれませんが、大部分の場合は、そうした訓練などしません。しかし、外国の力によってリクルートされ、外国のために働かされるわけです。(*記者の「なんだか、経営者と従業員の関係のように見えますね。」という指摘に対して) そうです。・・・(**同上書66~67頁)

 レフチェンコ氏は、この他に日本人協力者の中には、「無意識のうちに協力する人(unwitting agent)」もいると話しています。例えば上記の、①の狭義のagentや、②の信頼すべき人物 (trusted contact)を「ソ連の手先」とは知らずに、その当該agent(*例えば新聞記者)を信頼して、ある機密情報を渡すような場合、その人物は結果的にソ連の「unwitting agent:無意識のうちに協力する人」になってしまうわけです。そして実際にこういう実例があったことを語っています。情報を提供する相手(①や②)がソ連と親しいことは知っていても、まさかKGBのために働いたり協力しているとは知らずに、あくまでも個人的に相手(①や②)を信頼しての協力活動であるかどうか、とか、その活動が当該人物の職務や義務から考えて違法性を帯びたもの(*例えば身分が国家公務員など)か、そこまでのものではないか、などによっても「unwitting agent:無意識のうちに協力する人」であるか、そうでないかは、微妙に変わってくるとレフチェンコ氏は説明しています。

 加えて、ソ連の在日情報機関の系統には、三種類があり、ソ連共産党中央委員会国際部の系統(*表舞台のソ連政府として活動)、KGB(*裏舞台の米CIAや英SIS:MI6に相当する諜報機関)、GRU(*ソ連軍参謀本部情報総局:旧赤軍第四本部、かつてゾルゲが所属した軍諜報機関)が、それぞれ独立して相互の連絡・連携なく活動しているようです。従って、KGB将校であったレフチェンコ氏は、他の国際部系統や、GRU(軍情報部)系統の、活動や工作員については知らされていないのです。そうした基本的な背景知識がなく、矢鱈にいろんなことを質問しても、レフチェンコ氏も知っていることと、知らないことがあるのは当然なのですが、知らないことがあると、そもそも論でレフチェンコ氏の証言全部をいいかげんだとか、信用ならないと否定するような論難が出てくるのです。

 特に当時の朝日新聞は、1983年5月4日付夕刊の「レフチェンコ証言を切る」という記事で、次のような主張をしたといいます。

・・・(**同上書16頁に引用されている「週刊文春」編集部注によるもの)

   ① エージェントとレフチェンコ氏から名指された関係者は「捏造」と真っ向から否定している。

   ② 捜査当局もまた「犯罪に結びつく事実はない」と否定。

   ③ リーダーズダイジェスト社のジョン・バロン氏の著書『今日のKGB』には、二十六人の日本人エージェントが出てくるが、うち二十人はレフチェンコ氏の伝聞のみに基づいて書かれている。

   ④ CIA(米国中央情報局)の影がつねにつきまとい、レーガン(*当時の米大統領)の世界戦略の一コマに使われている。

   ⑤ これまで、スパイといえば、外交特権のある人物が多かったが、ソ連政府のPR雑誌「ノーボエ・プレーミャ」東京特派員という肩書は、いわゆる“スパイらしいスパイ”とは違う。

   ⑥ 大物スパイというわりには、レフチェンコ氏は饒舌すぎる。

―――このように、(*新聞紙面)一ページのほとんど全部をつぶして「検証 レフチェンコ証言を切る」との記事を作っている・・・(**同上書16頁より)

 この朝日新聞の批判は、今の眼で見ると何か意図的な否定とか、無理な「火消し」に追われているような感じがします。それというのも、このレフチェンコ証言の約20年後に解説書が出版された『ミトロヒン文書Ⅱ  KGBと世界(英国版未邦訳):THE MITROKHIN ARCHIVE II  THE KGB AND THE WORLD 』by Christopher Andrew (ケンブリッジ大学教授)/Vasili Mitrokhin (元KGB Archivist), 2005年, Penguin Allen Lane刊によれば、朝日新聞をはじめ読売新聞、東京新聞、共同通信、そして保守派で知られる産経新聞の、記者や編集部幹部とおぼしきメディア関係者が、どこまでwittingかは別として、多数このKGB協力者の暗号名を持っていることが判明しているのです。


 基本的に、大学を卒業して難関の新聞記者になるような人材には、権力(つまりは政府や国家)に対して、監視のみならず批判的精神に根差した人々が多くなる傾向があるものと「高度な平凡性」からは推察されます。従って、当時の自民党政権と日米安保体制、そして何よりも資本主義経済体制の日本国という情況に対しては、社会党や共産党といった「反自民党、反政府」という基本的なスタンスや、それにつながる左翼的(社会主義的または共産主義的)志向が一定以上にある人物が、こうしたマスメディアに進む傾向があると考えられます。それに加えて、朝日新聞では戦前の戦争礼賛乃至は戦争翼賛のスタンスへの反動や、終戦後のマルクス・レーニン主義者の占領軍による解放ということも相俟って、一気に左翼的な論陣を主軸とする編集体制が構築され、それが長年編集方針を支配してきたのではと思われるのです。もちろん同新聞自身は「公正中立」を旨としていると主張しているのですが、それこそ客観的に、同新聞の中国「文化大革命」への支持的スタンスや、後年の「慰安婦問題」「南京大虐殺問題」への報道姿勢を見ると、それが正しいか間違いかという評価判断を別としても、少なくとも「左翼寄り」の論調が多い印象を、少なからぬ日本国民に与えてきました。その逆に、産経新聞は「保守派寄り」という論調であるという印象を、同じく日本国民に与えてきたように思います。

 私自身は、それこそ政府広報紙や共産党新聞の「赤旗」のような種類の「宣伝・広報紙」ではないのですから、左翼的な立場であれ、保守的な立場であれ、それをはっきりと明示した上で、様々な角度や評価基準からの論説を展開することは、むしろ自由民主主義的であると考えています。それは安藤英治先生がMax WeberのWertfreiheitを「没価値」ではなく「価値自由」と訳すことを支持されていたことに通じる、「客観性問題」がベースとなった考え方です。即ち、最初に自分の思想的な価値基準をはっきりと言明することにより、その発表した意見・見解の読解・受領を、読者側の価値判断に委ねるということを以て、結果的に「客観性を担保する」という方法態度であるといえます。

 つまり「赤旗」のように、我々は日本共産党の見解を述べるというスタンスが明瞭な紙面・記事であれば、少し勉強して頭のある人なら、そのことを前提として、同紙の記事を読み取ることができるわけです。ああ、この人たちは共産主義的な価値観だから、こういう捉え方になるのだな、と読者側が自主的に判断できるわけです。

 ところが問題なのは、「公正中立、不偏不党」を建前として標榜しているメディアです。我々は「偏っていない」と公然と主張しつつ、その実はある価値志向に沿って、しかもそれを表面的には隠しながら論評する場合に、それは「純粋に客観的」とは言えない「欺瞞性」を伴うのです。平たく言えば、その記事の方向性や問題指摘を「公正中立」な意見として読者が読んでしまうことで、結果的には「ある偏向した価値志向」を「客観的意見」として誤認してしまうことになります。これが毎日繰り返されると、一種の「刷り込み効果」が生じ、それがさらに長年続くことで、ある種の「洗脳」がなされる結果となります。それが意図的かつ継続的に行われるならば、それは一種の「思想的乃至政治的謀略」となり得るのです。

 いやいや我々は、あくまで取材した事実をそのまま淡々と記事にしているだけだ、と言うかもしれませんが、一体その事件や事象の、どの面に光を当て、どういう角度から(肯定的にか批判的にか)それを眺めつつ、そこに見えているどんな「事実のある面」を注視して、記事のメインに取り上げるか、という基本的報道スタンスの段階で、すでにある一定の価値観が機能しているのです。それでも尚、いやいや我々はあくまで「常識(コモンセンス)」に従って、これを書いているのだ、と主張されるかも知れません。しかしその「常識」が、全ての人の持つ「常識」と完全に同一と言えるのか、もっと言えば、それはある一定の「常識」という名の「ある価値観」を押し付けているのではないか、という疑念は消えないのです。

 であるからこそ、安藤英治先生が支持されていた「価値自由」の考え方による「客観性の担保の仕方」が重要なのです。即ち、編集方針の明示でも、編集局長や記者でもいいのですが、きちんと記名式の記事で、まずは自分たちの寄って立つ価値基準や価値観、志向する政治思想や哲学という「価値前提」を読者に対して明示せよということなのです。まさに「赤旗」のように。さすれば読者の側は、「ああ共産党だから、このように捉えるのだな」と、自分自身で考え、判断しながら、その記事内容を読むことができるのです。これが「客観性の担保方法」であり、わたくしはMax WeberのWertfreiheit(価値自由)の意味だと考えています。

 さて、日本の戦後のマスメディアには、本シリーズで見てきたように、学生時代に「マルクス主義的志向」や少なくとも親近感を抱いていた人々が大勢いました。もちろんその人が成長したり、実社会での様々な実体験を経て、その寄って立つ価値観や思想を変遷させたことも多々あるでしょう。例えば、上述した「東大細胞」出身でも、読売新聞主筆となった渡邉恒雄氏や日本テレビ会長となった氏家齊一郎氏などは、共産主義とは訣別した道に進まれたものと思います。しかし、例えば西武グループ創業家の堤清二(筆名:辻井喬)氏などのように、自らは資本主義的な意味での資本家・経営者・財界人でありながら、終生ある一定程度の共産主義国家やソ連への親近感を抱き続けていたと思われる人々も厳として存在していたのです。レフチェンコ氏は、上記書『レフチェンコは証言する**』(文藝春秋刊、「週刊文春」編集部編)の中で、堤清二氏にはKGBによる「ツナミ」という暗号名が付されていたという事実や、同氏がソ連に対して親近感を抱いていたということと、同時に彼は決してKGBのエージェントではなく、KGBが彼を利用しようとしていただけであると証言しています。つまりunwittingな存在だということです。

 KGBは、こうした「善意の親近感」をも利用して、ソ連という国家や共産主義体制にとって、「少しでも有利」となるような結果や効果を追求していたと、レフチェンコ氏は語っているのです。それは本シリーズでも取り上げた、「レーニンの政治謀略教程」にあったように、資本主義社会の道徳体系などは一切無視して構わない、つまりは、ありとあらゆる詐欺、嘘騙し、背信、不道徳、不義理を厭わず、「悪魔とその祖母」とさえ手を組んで、ソ連と共産主義のためになることならば「何でもアリ」で、実行するべきだという「教え」が、その根本を成しているからです。

 朝日新聞の上記の否定的・批判的記事「レフチェンコ証言を切る」を書いた方々は、unwittingなのかwittingなのかはわかりませんが、意図的にか、あるいは本能的にか、この「レフチェンコ証言」の衝撃を、なんとかして否定的に打ち消さねばならない、という強い意志を持って、この記事を書かれたことは間違いないでしょう。それが本当には「一体何を意味するのか」については、むしろ「真実を探究する」新聞記者魂を持った朝日新聞の後輩記者の皆さんにこそ、課された現代的課題であるのではなかろうか、と期待を込めて思います。それこそが本来の「知識人のあるべきスタンス」なのではないでしょうか。

(次回につづく)