本ブログを本格的に始めたきっかけは、大学生協の調べで、昨今の現役大学生が平均で一ヶ月に一冊も本を読まないという記事を読んで、衝撃を受けたことでした。わたくし自身が、大学生になって、最初にゼミで与えられた課題の専門書(ロバート・N・ベラーの「日本近代化と宗教倫理」1962年未來社刊)をサブ・ノートを取りながら読むのに四苦八苦したものの、この本を読破することで専門書の「読書の壁」を越えることができた経験を有しています。


   そこで少しでも、まずは「硬い文章を読むこと」に慣れて戴きたいという願いを込めて、敢えてアクセス数などの「成績」には逆効果である筈の、やたらと漢字が多い長い文章だらけの記事を書き続けて参りました。しかし、今朝本ブログの「成績表」を何気なく見てみたら、写真の通り、多くの大学で高順位を戴いていることを知り、大変有難くまた元気を戴いた次第です。まずは、このことに、心より感謝を申し上げたいと存じます。

 勿論、大学と言っても、今どきは体育会とかスポーツに特化した学校もあるし、学術的・学問的な研究の道に進む大学生は、比率的には極めて小さいのであるから、仕方がないのかも知れません。しかし、一応大学を卒業したら、「学士」の称号を与えられるのです。明治の昔には、「学士様ならお嫁にやろか、末は博士か大臣か」と謳われた「学士様」がやたらに増えて、それがこの国の教育程度が諸外国に比して極めて高いことと連関しているものであるならば、日本として大変喜ぶべきことなはずです。しかし、それはほんとうにそうなのでしょうか。

 大学で学ぶということは、単にその個人が学ぶという意味だけでなく、日本という国や地球の人類社会を、これから導いてゆけるような先導する人材を育成することでもあります。少なくとも欧米の大学教育も、旧ソ連、北朝鮮、そして現代中国においても、大学という「最高学府」にはそうした国家・社会のリーダーを育成する意味や期待が込められているはずです。

 例え、学者や研究者にならなくとも、公務員でも、弁護士でも、民間の会社員でも、自営業でも、それぞれの業界や職業世界において、また日本のみならず国際社会において、時代を背負って社会を動かしてゆく存在に育ってくれること、そうした期待を担う人材を育成する使命が、各大学にはあるはずです。

   哲人ニーチェの曰う『偉大とは適時適切に方向を指示するをいう』との教訓からすれば、自らの価値基盤としての価値観、すなわち人類、地球、各国の国民と社会、それぞれのために、あるべき姿や方向性とは、一体どのようなものなのか。わたくしたちは、どこへどのように向かうべきなのか、そのためには何をなすべきなのか。

   そういう根本的な針路と志向性を定めるために、自らと自らが属する社会や集団のために、目指すべき価値とは何かを見出すことが、とても大切な出発点になるのです。それは決して唯一絶対なものであるとは限りません。多様性という言葉で安易にひっくるめるわけではありませんが、様々な価値観やものの見方、考え方があります。むしろそれを統合・統一できないからこそ、この人類社会には、戦争や紛争が絶えないのです。しかし、であるからと言って、絶望し無為無策に終わるのが人類の宿命であるというわけでもないと思います。常に困難に立ち向かい、少しでもより良い社会や国家や地球にしてゆくための不断の努力を、世代から世代に受け継ぎながら、少しずつでも進んでゆくことが求められているのです。

 まずは隗より始めよ(燕策)、という言葉が示すように、大学生の皆さんはまず自らの価値観を探求してこれを定め、それが指し示す「あるべき方向性」に思いを馳せ、そのために「自分は何をなすべきか」を考究して、自分の現世における使命(天命)を知ることが肝心ではないかと思うのです。そのためは、まずは何といっても、本を読むことです。それが電子書籍でも構いませんが、しかしやはり紙の本を一冊でも多く読むべきです。それは洋の東西を問わず、数千年以上の人類の経験や反省や叡智が込められているからです。本ブログでは、もっぱら海軍史から派生した陸軍史や日本近現代史に偏向してはいますが、少しでもわたくしが半世紀以上に亙り収集し、読み進めてきた書籍類の一部を皆さんにご紹介することで、それをきっかけにして、ご自分の興味や研究に役立てて戴ければと願って書き進めて参りました。

 また私自身の大学時代の経験から、とにかく「読書の壁」を突破して、専門書であれ何であれ、読書ができるようになるためには、ある一定量の本を読むことが如何に大切か、を痛感しました。せっかく大学に入学しても、この「読書の壁」を突破できずに、他人のノートのコピーだけ要領良く読んで、試験だけ合格点をもらうようなことで、「学士様」になったとしても、それは真にその「学位」に値するものとは言えないのではないでしょうか。むしろ「優(A)」の数に関係なくとも、ほんものの学問に触れる経験を自ら得ることこそが、大学での学生のミッションであるはずです。その上で、スポーツなり、芸術活動なり、クラブ活動に励むことには、大いに意味はあると思いますが、それらは本来的には大学での「課外活動」であって、まずその基底には、大学生としてふさわしい学識・教養は最低限身につけるという「課内活動」での然るべき水準の内容を身につけて、名実ともに「学士様」となって、実社会へと羽搏いて戴きたい、と心より願っています。