前回は、当時の日本の「国防保安法」(昭和16年3月7日法律第49号)によって裁かれ、死刑を執行されたゾルゲと尾崎秀實の両名の法的側面を眺めましたが、今回は、では一体どのような日本の国家情報を、ゾルゲたちが探知収集してモスクワの赤軍第四本部(情報部)に暗号で無電報告していたのかを概観してみたいと思います。そのため、前回に引き続き、ゾルゲを当時訊問した警視庁外事課警部補であった大橋秀雄氏と、戦後の後輩警察官である松橋忠光氏の共著『ゾルゲとの約束を果たす** ― 真相ゾルゲ事件』(1988年オリジン出版センター刊)から、大橋氏著述の「2 モスコー本部へ報告した情報」を読みたいと存じます。(*裕鴻註記・コメント等、尚下記項目は時系列ではなく、原文記載順のママ、また年月は事件発生時ではなくゾルゲの対ソ報告の時期)

・・・ゾルゲが多年にわたりモスコー(*ママ)中央部に報告した情報は、記憶しきれない程多数であるが、訊問調書に記録されたものは次のとおりであった。

 <国家機密及び政治経済外交等の情報>

1  昭和九年(*1934)十月上旬   斉藤(*実)内閣総辞職について

2  昭和九年(*1934)七月上旬   岡田(*啓介)内閣に関する情報

3  昭和九年(*1934)十月下旬   陸軍パンフレット問題について

4  昭和九年(*1934)頃   ドイツの国際連盟脱退と日独接近について

5  昭和十年(*1935)頃   右翼及び暴力団弾圧に関する情報

6  昭和十年(*1935)九月頃   相沢中佐事件(*永田鉄山斬殺)について

7  昭和十年(*1935)九月頃   相沢事件に現れた日本陸軍の危機について

8  昭和九年(*1934)末より昭和十年(*1935)三月頃   北支鉄道買収交渉について

9  昭和十年(*1935)頃   日本の対支対ソ問題に関する情報

10 昭和十一年(*1936)二月下旬より三月上旬頃   二・二六事件について

11 昭和十一年(*1936)春頃   二・二六事件後の粛軍について

12 昭和十一年(*1936)三月中旬   広田(*弘毅)内閣に関する情報

13 昭和十一年(*1936)春頃   日独防共協定に関する情報

14 昭和十二年(*1937)頃   宇垣(*一成)大将の組閣失敗に関する情報

15 昭和十二年(*1937)二月上旬   林(*銑十郎)内閣に関する情報

16 昭和十二年(*1937)六月上旬   第一次近衛(*文麿)内閣について

17 昭和十二年(*1937)七月頃   日高(*信六郎)交渉に関する情報  (*当時の広田外相指示による、在華(南京)大使館の日高参事官と中華民国の王寵恵外交部長との盧溝橋事件の和平交渉)

18 昭和十二年(*1937)八月「蔣(*介石)政権相手にせず」の近衛声明について

19 昭和十二年(*1937)十二月下旬   大本営設置に関する情報 (*本来「戦争」時にしか設置されない大本営が、日華「事変」下で設置されたことか)

20 昭和十二年(*1937)十二月頃   ドイツの“支那事変(*日華事変)”調停について(*トラウトマン工作のこと)

21 昭和十二年(*1937)十月下旬   日本軍南支進出の風評と英国の対策について

22 昭和十三年(*1938)頃   宇垣(*一成)外相辞職に関する情報 (*対英協調の日華事変終結外交が頓挫)

23 昭和十三年(*1938)六月上旬   陸軍内の勢力変化に関する情報 (*石原莞爾作戦部長更迭のことか)

24 昭和十三年(*1938)八月下旬   リュシコフ大将事件について (*ソ連秘密警察(NKVD)極東局長ゲンリフ・リュシコフが、スターリンに粛清されることを恐れて満洲国(日本)に亡命)

25 昭和十三年(*1938)九月下旬   日本の漢口作成(*作戦の誤植か→武漢作戦)と外交方針について

26 昭和十四年(*1939)一月上旬   第一次近衛(*文麿)内閣辞職について

27 昭和十四年(*1939)一月上旬   平沼(*騏一郎)内閣に関する情報

28 昭和十四年(*1939)春頃   平沼内閣と日独交渉について (*第一次日独伊三国同盟交渉)

29 昭和十四年(*1939)五月~九月   ノモンハン事件について

30 昭和十四年(*1939)五月以降   満鉄資料

31 昭和十四年(*1939)六月頃   汪精衛(*汪兆銘)の来日について (*汪兆銘政権樹立工作の情報か)

32 昭和十四年(*1939)九月頃   英仏の対独宣戦布告と日本の関係について (*欧洲大戦勃発)

33 昭和十四年(*1939)九月上旬   阿部(*信行)内閣と欧州戦争の見通しについて (*欧洲戦争不介入)

34 昭和十五年(*1940)一月上旬   阿部内閣不信任について (*陸軍中央による倒閣運動の報告か)

35 昭和十五年(*1940)二月上旬   日ソ関係に対する米国の動向について

36 昭和十五年(*1940)二月中旬   (*米内光政内閣の英米協調方針に基づく) 有田(*八郎外相)声明に対するドイツ大使館の意見について

37 昭和十五年(*1940)三月下旬   南京政府(*汪兆銘政権)成立に関する情報

38 昭和十五年(*1940)一月~五月   米内内閣と国民の期待について

39 昭和十五年(*1940)五月   日華新条約(*汪兆銘政権との条約)の要綱について

40 昭和十五年(*1940)六月中旬   フランスの(*対独)降伏と日本の仏印進駐について

41 昭和十五年(*1940)七月下旬   第二次近衛内閣と(*日独伊)三国条約について

42 昭和十五年(*1940)十一月下旬   日華基本条約(*汪兆銘政権)の締結について

43 昭和十六年(*1941)一月下旬   タイ・仏印停戦協定成立について (*主に陸軍による南進準備工作の一環)

44 昭和十六年(*1941)三月   松岡(*洋右)外相訪欧に関する情報

45 昭和十六年(*1941)年初頃   ドイツの軍事特別使節来日について

46 昭和十六年(*1941)四月中旬   日ソ中立条約調印について

47 昭和十二年~十六年(*1937~1941)   陸軍の典範令を収集

48 年月日不詳   陸軍部内の諸派の図解 (*皇道派と統制派などか)

49 年月日不詳   現国民組織表

50 昭和十六年(*1941)三月頃   最近の労働問題をめぐる諸問題について

51 昭和十六年(*1941)五月中旬   ヘス事件と対英講和工作 (*ナチス副総統のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスが自ら操縦した飛行機で英国に不時着し、対英和平工作を試みたとされる事件)

52 昭和十六年(*1941)五月二十日頃   ドイツの対ソ開戦情報 (*重大情報だったがスターリンは無視した)

53 昭和十六年(*1941)九月下旬   防空演習について (*日本の脆弱な防空体制についてか)

54 昭和十六年(*1941)六月下旬   尾崎(*秀實)と協議して日本南進(*促進)の謀略を遂行 (*陸軍の北進を阻止)

55 昭和十六年(*1941)六月頃   日独経済交渉に関する情報

56 昭和十六年(*1941)六月下旬   独ソ開戦に対する日本の態度について (*当面不介入のことか)

57 昭和十六年(*1941)七月上旬   七月二日の御前会議の内容について (*南部仏印進駐の決定)

58 昭和十六年(*1941)七月中旬   日本の対ソ戦問題に関する情報

59 昭和十六年(*1941)七月中旬   日米交渉に関する情報

60 昭和十六年(*1941)七月中旬   東條(*英機)陸相と北方問題について (*当面独の対ソ戦不介入)

61 昭和十六年(*1941)七月下旬   第三次近衛内閣に関する情報 (*松岡洋右外相の罷免等か)

62 昭和十六年(*1941)八月初旬   ドイツ大使館附武官の満洲旅行について

63 昭和十六年(*1941)八月下旬   近衛首相の対米メッセージについて (*日米首脳会談開催希求等か)

64 昭和十六年(*1941)八月下旬   日本の対ソ中立について (*当面維持する方向等か)

65 昭和十六年(*1941)九月頃   日本の対米妥協決意について

66 昭和十六年(*1941)九月初旬   ドイツ外相(*リッベントロップ)の落胆について (*対ソ戦反対のことか)

67 昭和十六年(*1941)十月初旬   日本の対米申入れ内容について

68 昭和十六年(*1941)十月初旬   日米交渉と米国の意向について

69 昭和十六年(*1941)十月初旬   近衛首相の対米交渉の見通しについて (*中国からの撤兵を巡り、東條陸相との対立による総辞職直前の状況に関してか)

70 昭和十六年(*1941)十月初旬   日米交渉とドイツの意向について

71 昭和十六年(*1941)十月初旬   対米戦争問題に関する情報

  (*ゾルゲは同年10月18日早朝自宅で逮捕された)

・・・(前掲書**163~171頁)

 ゾルゲと尾崎秀實の諜報団は、実に適確なタイミングで日本の重要国家情報を探知収集してモスクワに報告していたことが、このリストからわかります。現代の歴史の後追いが可能な私たちから見て、実に正確な日本の国家機密情報がゾルゲと尾崎秀實たちに諜知され、ソ連にタイムリーに報告されていたことが、窺える内容です。優秀なスパイの効果が如何に巨大なものであるかが実感できます。(次回につづく)