「事実と評価」は異なること

歴史的事実は、探求する過程でその実像が少しずつ明らかになるに連れて、全体像の形状が変わって見えるようになったり、ぼやけていた陰影がより鮮明になって来たり、あるいは別の角度や上下左右から眺めることで、異なった姿と形の画像・映像が見えて来たり、新しい画角で捉えることにより今までと違う側面が発見できたりもします。複雑な外見・形状や、根の深い内部構造を持つ動態的な「歴史の実像」を、少しでもより正確に捉えてその真相に迫る理解を深めてゆくことが、歴史の真摯な探究には必要な研究姿勢と方法態度です。

 一方で、捉え得た「実像」を、あらためてどう解釈し、評価し、批判するかは、その評価者自身の立場、観点、価値観によって、様々に異なるのです。これは言うまでもなく、当然のことであり、例えば同じ「ミロのヴィーナス像」を眺めたとしても、その考古学的な年代と発掘場所が意味する歴史的価値で捉えるのか、時代を超えた美・醜の意味を含む芸術的価値で捉えるのか、それとも神話的に「愛と美の女神」として眺めるのか、或いは腕を失くした壊れた不完全な彫像として眺めるのか・・・ 同じ一つの「実像」を見るにしても、様々なものの見方・考え方があり得るのです。そしてその上で、この「実像」を価値が高いと評価するのか、腕の部分がない欠陥品として価値が低いと批判するのか、とにかく古いものだから価値が高いと見るのか又は低いとみるのか、西洋人の女性を現していて美しいと捉えるのか、はてまた逆にこれを醜いと捉えるのか、千差万別の価値の基準や観点、解釈に基づく様々な評価や批判もあり得るのです。

 「史実」は一つであっても、事程左様にその評価や批判は、その判断や主張をする人の価値基準や解釈の立場によって異なるのであり、もし「A」である史実を「Z」であると、事実ではない事柄を主張するのであれば、それは間違いだと指摘できますが、同じ「A」でも、小文字の「a」だとか、活字体ではなく筆記体だとか、あるいはローマ字読みの「あ」だとか、カタカナの「ア」だとか、アルファベットの最初の文字だから「最初」を意味するとか、「初歩」や「基本」を意味するのだとか、或いは最初に出てくる最重要のもの、第一級のものを意味するのだとか、それこそ様々な解釈のヴァリエーション(variation)があり得るのです。そして、どれがその正解や真相に近いかは、前後左右の文脈や脈絡から読み解くしかありません。

 戦前、特に昭和前期の日本と近隣周辺領域の歴史も、上記と同様に、同じ一連の歴史的事実に関して様々な視点、異なる描像、それを「白」と見るか「黒」と見るか、そしてその映像を表現するとしても、その陰影やコントラストの程度の違いをどうするのか、或いは色のついたフィルターをレンズにつけて映写するのか、ポジティブでそのまま見るか又は白黒を逆転したネガティブ(ネガ・フィルム)を用いるのか等々の、様々なヴァリエーションがやはりあるのです。

 中国や韓国の描く戦前日本のイメージは、当然のことながらそれぞれのお国の是とする、政治的思想に立脚した史観に則った描写で表現し、それを正当なものであると主張します。これはもはや純然学術的な「歴史研究」の域を離れ、国際政治上の政争の一部である「歴史戦」に他ならないのです。そしてこれは「歴史的事実」がどうであったかというよりも、「歴史的評価」をどう行うかという問題にウエイトが置かれたものなのです。つまりは「事実」の認定についての異なるデータの採用や、その解釈の違い、そしてどこを強調したり、どの部分に特にスポットライトを当てるのかという点に於いて、各国の国際的政略に基づく意図があるのです。

 古来「勝者の歴史しか残らない」という言葉があるように、戦争に敗北すると、敗者の側から見た歴史は抹殺されて来ました。しかし現代の日本では、様々な視点から描写することが許されています。当然、日本の側から見た「歴史」が描かれてもよいわけです。しかし一方で、問題はその「日本の側に立った視点」とは一体どういう立場からのものかということにあります。

 「右側と真ん中と左側」の相対関係

 戦前の昭和前期の日本では、「皇国史観」と呼ばれる立場からの歴史が語られ、戦後の日本では主に「マルクス史観」と呼ばれる立場からの歴史が語られて来ました。政治学には、「道の右端を歩く者は左側からしか殴られない。道の左端を歩く者も右側しか殴られない。しかし道の真ん中を歩く者は、右からも左からも両方から殴られる。」という諺があります。日本の「史観」は、戦前は右端を歩き、戦後は長く左端を歩いて来たのです。

   もちろん数学的な意味でのど真ん中が常に正しい位置だというわけでは決してありません。例えていえば、山脈が連なる峰の分水嶺となる稜線が、ある時はやや右に、またある時はやや左に移ろいつつも進んで行くように、その辿るべき高く正しい道も時代や情勢によって多少は道筋が変動します。しかしだからと言って、極端に右側に偏っても、また左側に偏っても、最も高くに位置する尾根の道からは外れて滑落してしまうのです。やはり左右のバランスが取れる均衡点のフェアウェイというべき範囲があり、その道を決して踏み外してはならないのです。以前右端を歩き過ぎて右側の谷に滑落してしまったから、今度は極端に左端を歩こうとしても、また今度は左側の谷に滑落してしまいます。

 厄介なのは、右端にいる人から見ると、左端にいる人のみならず真ん中にいる人もひっくるめてみんな左側に見えてしまうし、左端に立つ人から見ると、右端の人も真ん中の人も全て右側に見えてしまうことです。つまり真ん中辺りを歩む人は、真ん中のやや右側を歩く人さえ右端の人からは左だと言われ、真ん中よりやや左側に立つ人も左端の人からは右だと言われるのです。

   話を簡単にするには、極端すなわち、最も右端(極右)か、或いは最も左端(極左)に立てば、自分たち以外は全てが反対側にいるので、単純でわかりやすいのですが、しかし「最良の位置が最も極端にあることは極めて稀で少ない」のが世の中の実相だということに、ある程度の年齢を重ねて実社会を経験されてきた人ならば、大抵は同意されるものと存じます。わたくしたちは、公正に歴史の事実を見つめ「是は是、非は非」として、これに誠実に向き合い、諸国民からの信頼を得つつ、正々堂々と反省すべきは自省し、説明すべきは主張してゆかねばなりません。それを粘り強く、そして根気強く、謙虚な心で真摯に継続して「歴史戦」を戦い抜くことが肝心なのです。

 「中国共産党の視点と戦略」

 最後の海軍大将、井上成美提督(海兵37期、海大22期)は海軍大学校の戦略教官時代に、敵情を把握することの重要性を強調し、限られた情報の断片を組み合わせて分析して推理し、合理的な推定を下す為に、捕物帳などの推理小説や探偵小説を読むことを、学生たちに薦めていたといいます。現代でいう「インテリジェンス」の修養を求めていたわけです。情報はただ単に蒐集しただけでは役に立ちません。集めた情報(インフォメーション)を整理・分析した上で、意味のある役立つ情報をそこから組み立て、読み取って提示することが肝要であり、それが日本語に適訳のない情報用語としての「インテリジェンス」の意味なのです。

 これは意外に「専門性」というよりは、むしろ「高度な平凡性」の観点が必要な作業でもあります。ある相手の意図や真意、目的を探るためには、相手をよく知ること、つまり相手は何もので、何をよしとしていて、何をしたいのか、そして何をしようとしているのか、それにはどのような手段を用いて、何を具体的に行うであろうか・・・ということを、あたかも推理小説を読み解いてゆくように推定してゆくのです。孫子の「敵を知り、己れを知れば、百戦危うからず」という言葉にも通じることだと言えましょう。

   この意味で、中国や北朝鮮といった国々が、どのような広報や宣伝活動を公式の報道機関から行うかを注視し、蒐集・整理・分析することで、それぞれの国の戦略的方向性を窺うことができるのです。しかも共産主義なりその他の政治思想であれ、「~主義・~イズム」というものがはっきりしている場合は、合理的な推測や推定がむしろやり易いのです。

   実は一番困るのは、支離滅裂であったり、感情的な非合理的行動に終始するような相手であり、それはその意図を論理的に推測・推定することが困難となるからなのです。逆に、どのような相手であっても、その相手がこだわっている思想や主張が存在する限りに於いては、ある程度の推測や推定をすることは可能なのです。

   この意味で、中国共産党の立脚点や立場、その志向性を踏まえれば、例えば我が国の歴史に関して、彼らが一体どのように「歴史戦」を仕掛けて来ており、今後もどのような主張をし続けてゆくかということを、ある程度合理的に推測・推定することができるのです。

 彼らの場合、その基盤は「中国共産党の権力維持」と「中華思想に根ざす大国としての意識」にあり、その上で「自国の正当性と国際的優位性を求める志向」と「自国権益の拡大・伸長」という基軸があります。そしてわかり易いアイコンとして、彼らが使う「核心的利益」という用語があります。つまりは「~は、核心的利益だ」と彼らが言えば、そこに国家戦略上の重要な価値があることを明示しているのです。

   加えて、南シナ海の島嶼をベトナムやフィリピンなどの周辺各国から奪取して軍事基地化したように、或いは香港を自国領域に完全に組み込むために、とにかく力ずくで既成事実を作り、国際司法裁判所であれ、国際法であれ、国際的世論であれ、何ら意に介さずに、「自分たちは正当であり、自分たちのものである」と主張し続けることで、結局は紛争当事国や国際世論を諦めさせ、その主張を飲み込ませてゆくという長期的な戦略・戦術を駆使し続けているのです。かつてのナチスドイツばりに「ウソも百回言えばホントになる」という流儀なのです。我が国の歴史認識問題についても全く同様です。

   実際に先の大戦で旧日本軍と戦った主要な相手は、今日の台湾である蒋介石総統が率いた国民党政権たる「中華民国」とその軍隊であり、現在の「中華人民共和国」が成立したのは戦後の1949年10月なのです。にもかかわらず、1945年に終了した第二次世界大戦の「戦勝国」として今日振る舞うこと自体にも歴史的欺瞞があると言えるのです。歴史上、第二次世界大戦における連合国軍の「戦勝国」は「中華民国」であり、当時の蒋介石総統は戦後の日本国民に対し、「以徳報怨」の心で臨まれたことも歴史的事実なのです。

 まして戦後の1946年から1948年にかけて行われた、いわゆるA級戦犯の「東京裁判(極東国際軍事裁判)」に検事を派遣して参加していたのも「中華民国」であり、「中華人民共和国」はまだ建国される前の時点です。従ってこの裁判に連合国の一員として参加したのは「中華民国」(今日の台湾)であって、「中華人民共和国」ではありません。こうした「歴史的事実」を一つ一つおさえてゆくこともまた「歴史戦」を戦うには重要な要素となります。

   わが国の首相をはじめ、要人が自国の靖国神社に参拝するだけで、それを非難囂々騒ぎ立てるのは、A級戦犯が合祀されているという理由ですが、そもそも日本は思想信条や宗教の自由がわが国の憲法で保障されている自由民主主義国であり、公人であれ私人であれ、一個人がどのような思想を持とうが、宗教を持とうが、その個人の基本的人権としての権利と自由は認められています。犯罪行為やテロ行為に繋がるものは別として、ある特定の政治思想や宗教に帰依したりしただけで、強制収容所や監獄に入れられるような国家とは異なるのです。

   もちろん国内も含めいわゆるA級戦犯についての様々な立場や見解はあるでしょうが、それもまた我が国が自由民主主義国である以上は、それを支持する人々も批判する人々もその言論の自由は保障されているという意味に於いては、どのような主張をすることも許されており、そしてその主張や立場に関係なく平等に扱われるのです。

 ある特定の政治的主張をするからという理由で投獄されたり、ある特定の宗教を信仰するからという理由だけで弾圧されたりする国家とは異なるのです。また、仮にある特定の個人に罪があったとしても、裁判の結果課せられた刑が執行されれば、その時点でその罪は償われ、消滅します。従って裁判により絞首刑に処せられた人物が実は冤罪の無罪であれ、又は有罪であったとしても、いずれにせよ刑が執行された以上、もはやその罪は償われているわけです。

   ましてその死後、魂となったからには、それはもはや物質的な現世の人間世界の存在ではなく、あの世の世界、神の領域の存在です。あの世に関する考え方は、文化や宗教によって異なります。善人の魂であれ、刑を受けて罪を償った人の魂であれ、無罪なのに冤罪で刑死された魂であれ、死後の魂をどのように慰霊するかは、それぞれ固有の文化の問題であり、宗教上の信仰や信念の問題です。

   そもそも中国共産党が信奉されている共産主義思想は唯物史観、唯物論のはずです。つまり神も宗教も魂も死後の世界も一切その存在を認めない、現世における「物」を唯一認める世界観のはずです。従って死によって肉体という物質が消滅したら、もはやそこには何も存在しない「無」であるはずです。従って、わたくしたち日本人が死後の魂をどのように慰霊しようとも、唯物論者であるべき共産主義者にとっては「なんの意味もない行為」のはずです。それを喧々諤々、非難囂々騒ぎ立てて批判するのは、一体なぜなのか、ご自分たちの依って立たれる思想信条や唯物論哲学に基づいてよく分析されるべきではないかと存じます。

   我々日本人が、日本文化や日本固有の伝統的な宗教的心情に基づいて自国内の神社や仏閣に参拝し、もはや現世にはいない魂を自分自身の思想信条、宗教的な信仰心に従って慰霊する行為を、外国の方々からとやかく言われる所以はなく、ましてや唯物論の立場からすればそれは全く無意味な行為なはずであり、もしそれが無意味な行為なら、尚更とやかく言うこと自体も無意味なことなのではないでしょうか。

 共産主義国ではない韓国については、中国とは些か事情は異なるものとわたくしは理解しています。もちろんそれでも尚、あの世の存在である魂の慰霊自体は上述と同様であると思いますが、恐らく韓国の方々にとっては、むしろ生硬な理屈ではなく、その積年の心情としての問題なのだろうと思います。これは以前も本ブログで何度か取り上げた幕末維新期以来の日本と朝鮮半島との関係性の中で生じてきた問題が根深く存在しており、簡単には取り扱うこともできず、また取り扱うべきものではないと思います。ただ日韓関係は決して未来永劫悪化させるべきではなく、道のりはいかに遠く険しくとも少しずつでも歩み寄り、必ず改善してゆかねばならないものだとわたくしは信じています。その意味では、北朝鮮や中国大陸に住む一般民衆の方々に対しても同様です。根本的な問題はあくまで、政治上、外交上、軍事上、思想信条上、言論上の、国家と国家、政府と政府の間の事柄であることは、忘れてはならない点です。

 「山下奉文将軍の遺訓」

 大東亜戦争の緒戦の活躍で「マレーの虎」と言われた山下奉文陸軍大将(陸士18期、陸大28期恩賜)は、大戦末期にフィリピンを防衛する第14方面軍司令官として戦い、敗戦後の昭和20(1945)年9月1日に降伏し、報復の色彩の強い軍事裁判により戦争犯罪人として、昭和21(1946)年2月23日にマニラ南方の米軍刑務所で絞首刑に処せられました。その処刑の直前に立ち合われた教戒師の森田正覚氏が記録した山下将軍の遺言が、本稿末尾のURLに全文収録されています。最後に、この山下将軍の遺訓の一部を謹んで拝読し、今後の「歴史戦」に臨む心構えとしたいと存じます。(文中■部分は、口述筆記原本での文字の判読不能、欠落等を指します。)

・・・私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃すべきでありました。事実私はキャンガンで或はバギオでかつてのシンガポールの敵将パーシバルの列席の下に降伏調印をした時に自刃しようと決意しました。然し其の度に私の利己主義を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らないかつての部下達でありました。私が死を否定することによって桜町(キャンガン)を中心として玉砕を決意していた部下達を無益な死から解放し祖国に帰すことが出来たのであります(私が何故自決をしなかったかということは、ついている森田教誡師に質問され詳しく説明致した所であります。)

   私は 武士は死すべき時に死所を得ないで恥を忍んで生きなければならないということが如何に苦しいものであるかと云う事をしみじみと体験致しました。此の事より■して、生きて日本を再建しなければならない皆様の方が戦犯で処刑されるものよりどれだけ苦しいかということが私にはよく分るのであります。

   若し私が戦犯でなかったなら皆さんからたとえ如何なる恥辱を受けませうとも自然の死が訪れて参りますまで生きて贖罪する苦難の道を歩んだでありませう。

   兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず、と孫子もいったように兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。この戦争を防止するため私はあらゆる努力を払いました。然し悲しいかな私の微力よく之を阻止することが出来なかったことはまことに慙愧に耐えない次第であります。

   マレー侵略、シンガポール攻略、国民の血を湧かした丈に恐らく皆さんは私を生粋の侵略主義者、軍国主義者の最たるものであると目して居られるでしょうがそれは当然であります。一身を軍職に捧げた職業軍人であります。今更何をか之に加えましょうか。然し私も軍人であると共に一■日本国人民としての意識も又相当強く動いて居りました。亡国と死者とは永久に再生はないのであります。

   兵事は古えより明君賢将の深く慎み警むる所でありました。一部の■者がひとの事を断じて国民大衆を多く殺傷し残れる者を今日の如く塗炭の苦しみに落入れたことは等しく軍部の専断であり国民諸君の怨嗟悉く我等に集中するを思う時私は正に断腸の思がするのであります。

   ポツダム宣言によって日本が賢明ならざる目論見によって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、民意によって選ばれた指導者によって平和国家としての再建が急がれるでしょうが、前途益々多事多難んることが想像されます。建設への道に安易なる道はありません。軍部よりの圧力によったものとは云えあらゆる困苦と欠乏に堪えたあの戦争十箇年の体験は必ず諸君に何物かを与えるに違いないと思います。新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。

   恐らく占領軍の政策として何等かの方法が取られるでありましょうが将に死に就かんとする私は日本の前途を思うの余り一言申し添えたいと思うのであります。踏まれても、焼かれても強い繁殖力を持った雑草は春が来れば芽を吹きます。国悉く破れて山河のみとなった日本にも旺盛なる発展の意志を持った日本の皆様は、再び文化の香り高い日本をあの1863年丁独戦争によって豊沃なるヌレスリッヒ、ホルスタイン両州を奪はれたデンマークが再び武を用いる事を断念し不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろう事を信じて疑いません。私共亡国の徒は衷心からの懺悔と共に異国の地下から日本復興を祈念いたします。新に軍国主義者共を追放し自ら主体的立場に代られた日本国民諸君、荒された戦禍の中から雄々しく立上がって頂き度い。それが又私の念願であります。私は朴訥なる軍人であります。

   私の刑の執行は刻々に迫って参りました。もう40分しかありません。この40分が如何に貴重なものであるか、死刑因以外には恐らくこの気持の解る人はないでしょう。私は森田教誡師と語ることによって、何時かは伝はるであろう時を思い、皆さんに伝えて頂くことに致します。聞いて頂きたい・・・・(中略) 

   自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ■を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出すに至った根本的原因であると思うのであります。此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

   諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。(以下後略)・・・

   ぜひ全文をご一読ください。

https://web.archive.org/web/20160305020509/http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/46765784.html